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2017.05.17
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カテゴリ:パソピア通信

この町に移り、6年もの歳月が過ぎ・・・。

初めて町の歴史の一端を知り驚きました。びっくり

サロンの自由勉強会の後、お仲間から

「うちの町には昔、お城があったのよぐー」と・・・






そしてそのお城の説明をポツリ・ポツリ語って下さいました。



其のお城はどんなお城だったのかしら ?…ぽっ

もう少し詳しく知りたくてインターネットの世界を覗いてみました。



小田井城『尾台城

小田井宿近くの三方向を谷に囲まれた崖上の自然要害にあり
当時の御代田一帯の盟主 尾台(小田井)六郎福親が

大永年間
(1521~1526) に築城したのが始まりという。

小田井城は佐久平北東部、久保沢川と谷沢に挟まれて
南側に張り出した舌状台地に築かれた崖縁城で

東・南・西側は深い谷を自然の濠とし
北側の基部を二重堀で断ち切って城域としています。



画像はhttp://zyousai.sakura.ne.jp/mysite1/miyota/odai.html
よりお借りしました。



規模は 東西300㍍ × 南北600㍍ ほど、内部は堀で仕切っている。
小田井城は、武田信玄の重臣、板垣信方を先陣として

攻め込む武田軍を相手に、城主・小田井又五郎が奮戦するも
武運つたなく、城兵全員が討ち取られてしまいました。

と記されている。(インターネットより)



そんな歴史を持つお城。


現在の小田井城跡は一面畑となっていて四つ葉四つ葉四つ葉
その真ん中にポツリと標柱が一本立っています。

カッコして井戸跡と書かれています。




2017年5月 発行

編集:メリー






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最終更新日  2018.03.11 14:47:40
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