☆ふしぎ感
何で上海にいるんだろう? って、自分でわからなくなってしまうことが時々ある。 そもそも私は中国に興味がなく、小さい頃なんて一番嫌いな国だった。どんな機会があったとしても、絶対に行きたくない国、だった。その後、大嫌いではなくなったものの、全然興味はなかった。 はじめて中国に来たとき、やっぱり私はおそるおそるで、絶対自分は中国になじめないって怖がっていた。嫌だなあ、行くのやめようかな、って当日の朝のお布団の中で考えていた。 そして上海へ行って帰ってきて、超大好きになってしまってまた来た。 でも上海にいることがいざ日常になってみたら、東京にいるのとあまり変わらないような感じ。それなのに家族とは離れ離れ、友達とも離れ離れ、富市とも離れ離れ。人には無駄に「すごいね、頑張るね」って感心され、親戚には「もうわかったから早く帰ってきなよ」って諭され、理不尽なつらく悲しいことも無駄に多く、なんだか時々いやになってしまう。 そして思う「なんで上海にいるんだろう…?はやく日本に帰りたい…」 でも次に気付く「別に私、強制的に上海にいさせられてるわけじゃない。日本にいられないわけでもないんだった。自分の意思で来ているんだった」。 それでも、すとんとは心の中に落ちず、意地でここにいるのではないか、これは惰性ではないのか??と考えてしまう。 先日、ソファカバーを作りたくて、久しぶりに布市場に行ったとき。 その周辺は本当に古い上海で、超こぎたなくてエキサイティング。 大変失礼だけど、お化け屋敷を探検するようなドキドキ感で、手をぎゅっと握り締めて、不安そうな面持ちで、ちょっとずつちょっとずつ路地の間を歩いていくのはとても面白い。 進むほどに少しずつ、わたし、こういう上海が好きでここにいたんだったなあーー、って思い出してきた。普段いる現実世界からほんの数分でここに存在できてしまう、っていうことがまた、どこでもドアを通ってきたかのような摩訶不思議さを感じさせる。 中国だから、上海だから好きなんじゃなく、私の小さい頃からの嗜好で、こういう感覚が好きなのだ。それがあったのがたまたまここだったのだ。というお話。 本当はここにあっちゃいけないべきものが、なぜかここにある、っていう違和感を感じるのが、私は小さい頃から大好きなのだ。 本当に、この大好きな感じを味わうのは極上に幸せなことで、それがあるからこそ、私は上海にまだいるんだ。あまりこの場所や雰囲気に慣れてしまわないで、いつも不思議な感覚を味わっていたい。