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カテゴリ:フィリピンを知る
留学前、僕はよくこんな質問を受けた。
意外に多くの人が興味を持っていたので、今日はフィリピンの言語について調べてみました。 アジア諸国の中では英語が最も通用し、最近では多くの韓国人などが語学留学に来ていますが、正確に言うと公用語は「フィリピノ語」とされています。でもフィリピン人全員がこの言葉を話してるわけではありません。 フィリピンは多言語国家で、言語の数は80とも100とも言われています。主要なものだけでも、タガログ、ビサヤ、セブアノ、イロンゴなどなど切りがないです。 これらは単なる日本の「方言」のようなものかと思っていたんですが、友人の話では「会話が全く通じない場合もある」とのこと。確かに島国という地理から考えると、お互いが「外国語」のような状況でも不思議ではないですね。 公用語に話を戻します。 「国民が異なる言語を使用していては、近代国家として成り立たない。国民統合の象徴である統一言語が必要だ」 ナショナリズムの育成を図るため、当時の大統領ケソンが国語の問題に取り組みます。アメリカの統治を受けていたフィリピンに、独立を与えることを前提として準備政府が設置されていた1937年のことです。 「諸言語を融合した言語を選択する」・「諸言語を1つだけ選択する」などの議論がなされた末、結局は「タガログ(マニラ周辺地域の言語)をベースに各地の語彙など加えて作る」という選択をしました。(このためフィリピノ語のことを一般的にタガログと言う人が多いです。) つまり公用語のフィリピノ語は「人口語・合成語」だということですね。 でもこのフィリピノ語、すぐに浸透したかというとそうでもなく、紆余曲折を経ます。軽視される時代が長く続きました。もともとアメリカ統治の影響で英語が普及しており、この国際語としての英語の有用性を信じる国民が多かったことが原因でした。 フィリピノ語重視に向かう転機は74年に文部省がフィリピノ語の強化にのりだしてからだそうです。人文科学・社会科学の分野などでは、フィリピノ語の使用が義務づけられるようになりました。 近年ではTVニュースなどもフィリピノ語で放送されるようになり、英語離れに対し懸念を抱く人も多いそうですが、着実に公用語が見直されているようです。 さて、フィリピノ語の歴史をたどってきましたが、浸透し始めたからといって万事OKというわけにはいかないのが多言語社会の痛いところ。公用語といえども、もとはやはり地方の1言語に手を加えただけのものにすぎません。この作られた共通言語に関しては、多くのフィリピン人は悩まされているようです。 僕の通うフィリピン大学(通称UP)は、国内随一の国立大学だけあって、フィリピン全土から学生がやってきます。 南部ミンダナオ地方やビサヤ諸島など、地方から来た人の中には「フィリピン人なのにフィリピノ語をうまく操れない人」もかなりいます。実家ではその地方の言語を用いて生活しているのだから当然です。 その上に英語の本を読み、レポートを書くのだから、その大変さは相当のものでしょう。(でも、そういう人ほど逆に英語能力が高い気がします。やはり補足のコミュニケーション手段として、英語を使う機会が多くなるからでしょうか?) 地方の少数民族の場合はもっと深刻だと聞きます。 母語に加え、地方の共通言語を覚え、さらに学校では公用語のフィリピノ語と英語の習得が求められるということ。少なくとも4言語をマスターしないとやっていけません。この結果、どの言語も中途半端になってしまうという惧れもあり、国も言語教育には頭を抱えているそうです。 調査によると、全家庭のうちフィリピノ語を使用しているには3分の1程度にすぎないということです。 母国語だけど母語ではない。 確かに統一した方が意思疎通はしやすいけれど、言語という社会に根付いたものを変えるのは難しい事を示してます。自分のアイデンティティーをいじる事と同じですからね。 「多言語社会の抱える問題」・・・少数民族ももちろんいますが、ほとんど1つの言語で事が済む日本では、あまり考える事のない問題ですね。 そんなこともあり、今日は言語について簡単に書いてみました。詳しく書くと切りがないので・・。 次回は関連付けて、「フィリピンの英語事情」について書いてみようと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Jan 22, 2005 03:11:28 AM
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