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ケルビンは目が合うやいなや、僕ののど元を軽く人差し指でビンタしてきた。
「ポッポッ」と響く間の抜けた音に誘われて、お返しに僕も同じように彼ののど元を軽くたたく。「ポッポッ・・」。 自然とお互いの顔に笑みがこぼれた。 再会の‘あいさつ’は2年前と同じだった。すぐにケルビンが僕のことを覚えていてくれたのがわかった。言葉が出ないほど嬉しい。9歳になり,体が一回りも大きくなっていた彼だが、笑ったときに見えるふぞろいの前歯は相変わらず愛嬌たっぷりだ。「クヤー(お兄ちゃん)!」と言って飛びついてくる‘やんちゃ’ぶりもそのままだった。 僕がフィリピン・パンガシナン州スアルにある児童養護施設「子どもの家」に始めて訪れたのは2003年3月のこと。ボランティアとして施設の建設に携わり、子供たちと戯れた。 あれから2年。フィリピンに留学し、再びこの施設を訪れることになろうとは当時は思いもしなかった。 今回は留学仲間と遊びに出かけた、僕にとっての思い出の地「子どもの家」のレポートだ。 「子どもの家」を運営するのはNPO法人CFF(Caring for the Future Foundation)。身寄りがなく施設を転々としていたり、経済的な理由や虐待・育児放棄などの理由で家族と生活をともにすることができない子どもたちを保護している。 また春・夏に日本人・フィリピン人青年達がボランティアとして参加する「子どもの家」建設のワークキャンプを実施し、日比の友好も深めている。 現在この施設で生活している子供は、6歳から14歳までのあわせて12人。それぞれが苦しい過去を持っている。 1年ほど前から「子どもの家」で暮らすロクサンは、誕生日も身元もわからない孤児の少女。町で徘徊しているところをDSWD(社会福祉開発庁)に保護された。 しばらく孤児や性的虐待経験者を保護する施設「女性センター」に入っていたが、そこで出会うレイプ経験者の話を聞いているうちに、「自分にもそんな経験があった」と思い込み、口にするようになったという。子供の成長に良くないと感じた職員が、新たな保護場所として見つけたのが「子どもの家」だった。 黒髪のショートカットでラテン系の顔つきのロクサン。「空が好き」と話す普通の少女だが、時折見せる寂しそうな表情が彼女の過去を物語っていた。常駐のソーシャルワーカーが身元の割り出しを行っていたが、最近手がかりとなる情報を得たということだ。彼女の生い立ちのわかる日が一刻でもはやく来ることを願う。 スアルのビーチではしゃぐロクサン 「子どもの家」の最も新しい家族がマルビンだ。一番小さく、やんちゃな彼。僕は「4~5歳かな」と思い込んでいたが、「実際は7歳」ということを知り驚いてしまった。 双子の妹が二組いたマルビンは、育児や困窮の苦痛により母親から虐待を受けていた。保護された当時は目が鋭く‘ギョロギョロ’としていたという。栄養失調のため、お腹が膨れあがり、体重はわずかに14キロ。それでも食事の時は、その小さなお腹に詰め込めるだけ詰め込み、ほっぺたまで膨れるほど食べたという。「次はいつ食べられるかわからない」そんな生活を強いられていたのだ。 でも今は食事もみんなと同じように食べるようになり、体重も順調に増えている。好奇心旺盛で誰にでもなついてくる彼は一番の人気者だ。 今では元気なマルビン! 2年前に訪れた際、僕と最も遊んでくれたのが前述したケルビンだ。以前はタガログしか話せず苦労したが、今では英語もちょっと出来る。会話がお互いの距離を一層短くしてくれた。ケルビンには同じく「子どもの家」で暮らす二人の妹がいる。イネン(6)とネネン(7)だ。お兄ちゃんのケルビンは甘えん坊のように見えるが、ちゃんと妹たちの世話もするしっかり者だ。そんなところが僕は気にいっていた。そんな彼も胸が痛くなるほど辛い過去を持っている。 父・姉と5人で暮らしていた彼らだが、父が姉に性的虐待を与えたことで警察から追われ姿を消してしまった。(母親は以前に父を捨て家を出ている)姉は心の傷を癒すため専門施設で生活することになり、結局3人は残されてしまった。7歳・5歳・4歳の子どもが保護なしで生活するのは不可能だ。そこで「子どもの家」がケアすることになった。 年に何度か三人は、姉のもとを訪ねるという。昨年末は姉が「子どもの家」まで会いにきてくれたそうだ。だが親がいなくなってしまった彼らは、しばらくの間ここで暮らさなければならない。家族の絆の強いフィリピンで何故このような事が起こってしまうのか、憤りすら感じてしまう。 おやつのピザをほおばるケルビン 1999年の設立以来、5人の子どもが施設から離れていった。里親に引き取られた子もいれば、状況が改善し、実の家族のもとに戻って行った子もいる。しかし中には態度がひどく、受け入れたが拒否せざるを得ない子もいたそうだ。 「それぞれの成長段階に合わせて‘心のケア’の仕方を変化させていかなければならない。職員でミーティングを繰り返し、慎重に行う必要があるのでとても大変」。2001年からこの施設で働く亜紀さんはこう話してくれた。 ただ資金や人手が多ければ事足りるわけではないようだ。‘親代わりのワーカーと子どもたちとの深い関係’が重要になってくる保護施設では、多くの子どもを世話したくても限度がある。社会に出て行けるように教育していくことは予想以上に大変だと感じた。 僕がこのキャンプに参加した最初のきっかけ。それは「珍しい物見たさ」だった。 だがキャンプを通して‘貧困’を目の当たりにした僕は、少しでも解決策を探りたいと真剣に思うようになった。フィリピンでの留学はその延長線上でもある。 だが、街に溢れるストリートチルドレン、ホームレスの家族を毎日のように見せつけられ、僕は問題の大きさに絶望。無力さで、いつしか彼らから目を逸らすようになっていた・・。 2年ぶりの「子どもの家」の再訪は、そんな僕に希望を与えてくれたように思う。 愛情を受けて育った彼らは、愛情を示すようになっていた。素直に感謝や悲しみの気持ちを表現するようになっていた。確かに立派な人間になっていた。 キャンプ中、ボランティアのメンバーでこんなことを話し合った記憶がある。 「大きく変えるのは難しい。だけど小さなことから変えていくのは自分たちにでも出来る」 ・・・その通りかもしれない。 「自分にも何か出来ることはないか」 ‘どんな場面でも強い心で立ち向かう勇気’を子どもたちから教えられた気がする。<終> ~お知らせ~ 「子どもの家」を運営するCFFは、ただいま春キャンパー募集中!紹介した子どもたちに会えます! HPはhttp://www.cffjapan.org/ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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