|
カテゴリ:フィリピンを知る
交換留学生レポートでありながら、今まで大学のことを紹介していませんでした・・・。今回は留学先であるフィリピン大学とフィリピンの大学事情についてレポートします。(被災地レポートはちょっとお休みです。)
正門にある像‘オブレーション’はフィリピン大学の象徴です。モデルは国民的英雄のホセ・リサール。(写真はクリスマス時のもの) <フィリピンの東大‘フィリピン大学’とは?> フィリピン大学は1908年に設立された国内初の国立総合大学。通称UPと言われます。一つの大学のように聞こえますが、1972年の大学改革を機に「特徴的な学問領域を持つ、7つの独立した大学システム」になりました。 僕が学ぶのはUPディリマン校。法学、社会科学、工学、音楽、建築、芸術などの分野で有名です。その他には医学で有名なUPマニラ校、水産で有名なUPビサヤ校などがあります。 さてUPディリマン校は国際空港から車で45分くらい、マニラ北東部ケソン市にあります。マニラでは珍しく自然が多く残されたロケーションです。 68の学士コースと22の大学院コースを持ち、学生総数は25,200人、うち留学生は209人です(2002年のデータ)。現在の日本人留学生数は交換留学生(日本とフィリピンの大学間協定による留学)がおよそ25人、修士課程などの日本人正規学生数は10人くらいです。 493ヘクタールの広大なキャンパス(東京ドームの100倍以上の広さ!)の中には、各種の国立研究所、競技場、学部棟をはじめ、食堂やホテルなどがいくつかあります。とても徒歩で移動できる距離ではないので、学内にはジープニー(乗り合い自動車)が循環しています。その名もIKOT(イコット)。タガログで‘循環’というような意味だそうです。 UPの中心部の風景。緑の多いキャンパスです。 これがイコット!多くの学生が利用する学内循環バスのような乗り物です! そしていかにもフィリピンらしいのは、キャンパス内に一般の民家のみならず、不法居住区も存在することです。このような状況になった原因は諸説ありますが、戦後に行われたキャンパス移転以前に住んでいた。あるいは、貧しくて住む場所がなく、キャンパス内に流れてきた人が定住するようになったとも言われています。 あまりに広大すぎて外部との境界が曖昧なため、キャンパスの治安はあまりよくありません。強盗、レイプは日常的。殺人などもあります。 数年前、ベトナム人留学生が誘拐されて未だ行方不明のままという話も聞きました。先日も白昼堂々、僕の住む寮の前でホールドアップがありました。銃を突きつけられて、「お金を出せ」ってやつです。 散歩が好きな僕ですが、用心のため夜中は歩かないようにしています。 大学内にある不法居住区の様子。フィリピンらしい! そんな学校らしからぬ点もあるUPですが、学生のレベルの高さは国内トップ、東南アジアでも5本の指に入る名門大学と言われています。卒業生もフィリピンを代表する有名人が勢ぞろいです。数人紹介してみます。 まずは故フェルディナンド・マルコス氏。1965年から1986年まで大統領を勤めた人物です。戒厳令を敷き、政治を操った彼は独裁者といわれました。UPの法学部を出て、司法試験にトップ合格したほどの頭脳の持ち主であったことは今でも語り継がれています。 このマルコスの政敵だった故ニノイ・アキノ上院議員はUP法学部を中退しています。彼が亡命先のアメリカから帰国した直後に暗殺された事件は、マルコス独裁政権に対する国民の怒りを一気に噴出させました。これがフィリピン政治史のハイライトである‘ピープルズパワー’と呼ばれる民衆革命です。 そして現在のアロヨ大統領ももちろんUP卒です。経済学者として自らUPの教壇に立っていたこともあります。92年に上院議員に当選したことを契機に政界に入り、とんとん拍子に大統領にまで登りつめりました。 このように現代フィリピン史の当事者たちを輩出してきたフィリピン大学。ここに通っていて感じるのはやはり‘エリート意識’です。どの学生と話していても、自分がUP生であることに誇りに感じています。またこの大学がフィリピンにおいて非常に高いステータスを持っていることは交換留学生である自分も強く感じます。 例えば、役所などに行って調査するにしても、「UPで勉強しており、リサーチに来ました」と一言いえば、まず断られることはありません。むしろ偉い人を紹介してくれたりもします。‘コネ’や‘学歴’が物を言うフィリピン社会を強く感じる瞬間です。 またエリート同士の争いも熾烈です。同じくケソン市にあるアテネオ・デ・マニラ大学は私立大学の最高峰。UP生はどの社会階層の生徒も通っているのに対し、アテネオは良家の子女が通う大学です。特にUP生はアテネオ生に対してかなりの意識をもってるように感じます。このライバル意識の高さを示す会話を友達から聞きました。 友人は尋ねました――「UPのシンボルがフクロウなのは何故?」 UP生は答えました――「フクロウはタカよりスマート(賢い)だからさ」 ライバル校アテネオ大のシンボルはタカで有名。「彼らより賢い」と暗に示してみせたのです。確かにスマート!このプライドの高さに僕は感動してしまいました。 多くの歴史的人物を輩出してきたUP。写真は法学部棟。 <フィリピン大学事情> さてフィリピンは意外なことに、国際的に比較しても高い教育水準と高学歴人口を持っています。高等教育機関の総数は国公立私立合わせて1383もあり、これはアメリカについで世界で2番目の多さです。高等教育の就学率も27%以上で世界180カ国中33位。アジアに限れば、韓国、イスラエル、日本、シンガポールについで世界第5位と言われています。 これほどまでに教育が盛んな理由はかつての植民地支配にありました。フィリピンを統治したスペインやアメリカは学校教育を重視し、現地の有能な人材を育てようとしたのです。スペイン統治時代の1645年に建てられたサント・トマス大学は、アジアで最古の大学として現在もマニラに残っています。 では高等教育を受けたフィリピンの学生の就職状況はどんなものなんでしょうか。 友人の話しによると、企業によって出願条件として出身大学が指定されているようです。特に強いのはUP、アテネオ大学(私立)、デ・ラサール大学(私立)の3校だということ。ここでも露骨に学歴社会が示されています。 エリートのUP生なら余裕で就職先を見つけられるのかと思いきやそうでもないようです。経済停滞が続くフィリピンでは失業率が11%以上と高く、当然のように就職難です。 フィリピン人の多くはアメリカなどを始め、世界各地に職場を求めて国を出てしまいますが、この状況では無理もありません。せっかく国内最高の高等教育を受けてきたにも関わらず、それに見合うだけの職場が国内には無いのですから。 でも有能な人材がどんどん流出してしまっては、誰が切迫した国内の経済を立て直すのでしょうか?教育された者がしっかり国を見つめなくては解決の道はないとおもうのですが。問題は山積みです。 就学率が高いフィリピンですが、同時に退学率も多いのが現状です。 今まで知り合った人の中にも、「カレッジに行っていたけど、今はストップしてるんだ」という人が結構います。これは要するに「お金が続かなくて、途中で休学する」という意味のようです。 日本の場合と異なり、フィリピンの大学は単位ごとに授業料を払います。お金がある人は多くの科目を履修し、4年以内に卒業できる一方で、経済的に困窮した学生は、お金に見合った単位数のみの授業料を納め履修しているようです。 入学はしたものの、4年間で卒業できず、就学期間が長引くこともあるし、資金を工面できずに途中でやめざるを得ないこともしばしばです。<終> 今回は大学事情について書いてみました。フィリピンにこれから留学する方もHPを見てくれているようなので。少しでも参考になれば幸いです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[フィリピンを知る] カテゴリの最新記事
|
|