8月13日の朝、姉ちゃんから電話がきました。
「おかぁさ~ん、仕事行きたくないよぉ~でも、午後からしゅうちゃん(旦那)と試走に行ってくるね。」
「気を付けなさいよ。」
「はぁ~い」
いつもの何気ない電話のやり取り。まさか、それが最後になるとは思わずに・・・
11日まで試合前の練習のため、里帰りをしていました。
「あんたさ・・仙台に来させてもらえることを感謝しなさいよ」
「わかってるよぉ」
21日、会津でのレースで日本選手権の切符を取ることを目標に頑張ってきました。
会社の全面的なサポート、5月に入籍したばかりの夫と夫の家族の協力があり、姉ちゃんは
最高のコンディションでレースに臨もうとしていました。
「お母さん、このレースが終わったら福島に来てね」
11月19日、郡山で結婚式を挙げる予定でした。
ドレスも決まり、あとは打掛を一緒に選ぶ予定でした。
バージンロードを父ちゃんと歩くのを楽しみにしていました。
「お父さん、泣くかなぁ~」
「絶対泣くよ」
「私も泣いちゃうな・・・」
「あんた泣き虫だから」
当たり前の会話・・・
あの日は珍しく家族全員休みでのんびりとした休日でした。
4時半・・・家の電話が鳴り、彼のお母さんでした。
「今電話が来て瑛美ちゃん(姉ちゃん)が事故に遭ったって・・・お母さん、すぐ行きましょう」
そんな・・・今朝話したばかりだったのに・・・
とりあえず荷物を詰めて、私と大将は新幹線で旦那とチビは車で会津に向かいました。
会津の病院に着いたのは夜8時頃だったでしょうか・・・
命が助かると思いながらも病院に着いたとき、とても嫌な予感がしたことを覚えています。
うなだれて泣いている彼・・・
会社の方
土下座を繰り返す加害者・・・・
オペ室から出てきた娘は娘じゃなかった・・・・
時間は定かではありませんが、ドクターからの説明がありました。
話辛そうなドクター
「脳のダメージが強すぎて・・・・骨盤も骨折していて・・・」
すぐに状態を飲み込めた自分がいました。
大将も同じでした。
「脳死状態ということでしょうか?」
「ほぼその状態です。」
「回復の見込みは・・・・」
「残念ですが・・・会わせたい方がいましたら・・・」
運ばれた当初、瞳孔も開きかけていたと・・・
血圧が安定して持ち直したが、あとは落ちてゆくでしょうと・・・・
ご家族が納得されたときに呼んでくださいと・・・・
集中治療室に寝ていた姉ちゃんは、呼吸器をつけていました。
「瑛美、お母さんだよ。来たよ」
そう言ったら口元が動きました。
多分、聞こえていたんだと思います。
チビは
「お姉ちゃん起きて。お姉ちゃん」
と何ども何ども叫んでいました。
夫である修平くんは、名前を呼びながら娘の手を握っていました。
スイミング時代のコーチ、中学校の時の先生、修平君のご両親、みんなが娘を見守っていました。
挿管され、苦しいだろうと思いながら、大好きな先輩がくるまで頑張って欲しいと思いました。
こんな時に・・・・下手な知識がある私と看護師である大将・・・・
モニターを見つめながら娘の最期を感じ取っていました。
「ママ、可哀想だから呼吸器外してあげよう」
娘の大好きな先輩、優ちゃんが言ってくれました。
8月14日 0時36分 娘 瑛美は旅立ちました。
最愛の夫を残して・・・・
病院のスタッフの心使いで大将と優ちゃんも管を外し、
私も加わりエンゼルケアをしました。
とても事故に遭ったと思えぬほど綺麗な穏やかな顔をしていました。