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想い出は心の宝石箱に。。。

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2023.08.26
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カテゴリ:食べログ
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 ​同じマンションの住人から、​富岡製紙工場​に行ったのでと、お土産に

 いただいた
​チョコリーフパイ​、富岡製紙工場。



         


         





 それでは、いただいてみましょうかね・・


     



     



  うん・・普通・・・

 観光地のお土産って、こんなもんでしょう。




 ところで、富岡製紙工場は、群馬県富岡市に設立され1872年(明治5年)に

 開業された、日本で
​初めての本格的な​機械製紙工場​。​

​ 開業当時の製糸所、繭倉庫などが現存し、富岡製紙工場と絹産業遺産群として、​

​ 2014年に​世界遺産​に登録されました。



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​ 大日本帝国の富国強兵という国策を支える、有力な輸出貿易品となった​生糸​

 生産の
為、明治から大正にかけて各地で製紙工場が建設されました。しかし

 そこで働く、女子工員の
​過酷な労働が問題となり、1925年(対象14年)には

 細井吉蔵血著の​女工哀史​という​
ルポタージュが刊行。





 



​ また、1968年には山本茂実によって、ある​製糸工女哀史​としてノン

 フィクション文学
​​< あゝ野麦峠 >が、朝日新聞から刊行されました。​​


​​​ 岐阜県飛騨地方の10代の農家の娘は、​野麦峠​を越えて長野県諏訪、岡谷

 製糸工場
へ働きに出たそうです。山本は執筆にあたり、数百人の女工・工場関係者

 から聞き取りを
行い、過酷な製糸工場での勤務実態を、物語として描きました。



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​ ​富岡製紙工場=女工哀史=あゝ野麦峠​の図式から、10代の

 女性をボロ雑巾の
ごとく使い捨て、酷使した製紙工場がなぜ世界遺産に登録

 されたのかと、
疑問を抱く方もおられると思います。


​ 富岡製糸工場はただ大量生産だけを目的とせず、働く女工は​指導工女​

 しての
教育も受け、きちんとした労働条件の中で、勤務していたそうです。

 しかし、
​生産・利益第一として、女工の人権を無視した、​日本人的経営​の​

 製糸工場が各地に建設されたことに伴い、かかる悲劇がうまれたのではないか?

 と、推察する次第。



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Last updated  2023.08.26 12:41:46
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