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想い出は心の宝石箱に。。。

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2024.02.02
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カテゴリ:映画
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   古いものだと馬鹿にするかもしれませんが

     古いものにも 面白いものが

      あるんで
ごじゃりまする  

 


​​ と、鶴田浩のように啖呵をきりながら、皇子が今回紹介する映画は、1954年に

 公開された、< グレン・ミラー物語 ​>。







 ​ビッグバンド​のバンドリーダーとして活躍した、グレン・ミラーの半生を

 描き、
アンソニー・マンが監督、ジェームズ・ステュアートがグレン・ミラーを、

  
 ジューン・
アリソンがその妻を演じました。

 

 グレーンミラーの名前と、そのビックバンドの音楽は聞いたことがありますが、

 彼の人なりについては皇子も知らず、数々の名曲に彩られたこの映画を、

 とても興味深く鑑賞出来ました。

 

 
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 グレン・ミラー( 1904~1944 )はアメリカのアイオワ州クラリング生まれ。

 ニューヨークにてプロのトロンボーン奏者として音楽の道に進むますが、思う

 ようには
いかず不遇の時代が続きました。

 
 やがてトミー・ドーシーベニー・
グッドマン、
レッド・ニコルスなどの音楽家と

 親交を結び、1937年に自己の楽団
グレン・ミラー・
オーケスト

 ラ
」を結成。

 

 1938年にRCA傘下のブルーバード・レコードと契約、翌1939年から「ムーン

 ライト・
セレナーデ」「茶色の小瓶」「イン・ザ・ムード」「チャタヌーガ・

 チュー・チュ
ー」
など次々とヒット曲を発表し、バンドリーダー、作曲家、編曲家

 として絶大なる人気を
博しました。

 

 

                         

 

 

 
 第二次世界大戦の勃発にともない、1942年に陸軍航空軍に入隊、慰問楽団を率いて

  
 演奏にまわりましたが、大戦末期の1944年12月15日イギリスからフランスへ慰問

 演奏に飛び立った後、乗っていた専用機がイギリス海峡で消息を絶ち、40歳の

 若さで
亡くなったのです。

 

 その後同僚がグレン・ミラー楽団を率いて、その魅惑のサウンドを今なお世界中に

 届けています。  

 

        

         

           

  

  

   グレンミラー物語で、彼を支えた妻の役を演じた、ジューン ・アリソン。

 トローンボーン奏者でありながら自分のサウンドを追求し、いずれは自分の楽団を

 結成するとの夢を、彼女に語ったグレンミラー。しかし現実は厳しく、小さな

 楽団の
トローンボーン奏者で、終わってしまうかもしれないと、弱音を吐きます。  

  

                      

 それを聞いて、彼女が言った言葉・・・

​  ( I am disappointed・・​・​  )​

 

 
  そんな弱音を吐く、あなたなんかには、がっかりしたわ。自分のビッグバンドを

 いつかは実現してみせると言っていたあなたが、わたしは好きで結婚したのに・・

    その言葉は、自分の夢の実現へと彼を再び駆り立てた、反語的な応援メッセージ
 
 だったのです。

 


 男を殺すも生かすも奥方次第、内助の功​という言葉を思い出せた、

 映画でもありました。

 いや~~~、映画っていいですね・・・

 さいなら、さいなら・・・​​​​

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Last updated  2024.02.02 13:07:04
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