想いで迷子
1990年、京都でのバブルがはじけた頃、私は南フランスを旅した。ラナプールという海沿いの町のカジノのあるホテルに3泊し、そこから毎日、ポールリカールという高原の田舎町へ通った。(ポールリカールでピンとくる人いるかな?)最初の日の朝、私たちはバスで小さな村を通りかかった。たぶん7時頃。村人が4、5人、ボールを蹴って草原で遊んでいた。サッカーとも言えない、ゴールもなければ ただの草原だから。帰り道、同じ村を通った。たぶん夕方5時頃。村人が4、5人、ボールを蹴って草原で遊んでいた。同じ場所、同じ服装、同じ人たちでしょ。彼等は昼間に一生懸命仕事をして、朝夕の休憩時間に玉遊びして私は たまたまその時間に通りがかっただけなのかもしれない。しかし、その時、私は強烈なカルチャーショックを受けた。大の大人が、朝から晩までボールを蹴って遊んでいる。田舎の小さな村にはバーはあるのだろうか。少なくともバスが通るメイン通りにはネオンはなかった。なにが楽しいのだ!?私は当時、割りと真面目に必死で働いていた。小さな事務所を経営し、それなりに稼ぎ、それ以上に遊んだ。いや、単に祇園で飲んだだけかも。なにが楽しいのだ!?私は、それ以来、働くことをやめた。フランスから帰ったら、働くことができない状況になった。同時だった。ちょうどいい潮時だった。人は幸せを求めて生きているはずだ。時間や資金繰りや、人との付き合いに追われて自分の幸せは何だ、なんて考える暇もなかった。得たものは、飲まずにいられないような、金だった。私はその時、シンプルに生きようと決めた。決めたはずだった・・12年前。