交流会と5順目一時帰宅
今日は福島県富岡町から神奈川県に避難して来ている方々の交流会の日です。場所は横浜駅の西口近辺にある「かながわ県民センター」で13時30分からです。私も富岡町にはH11年~15年までとH18年~震災日まで住んでは住んでいましたが、そんなに町民の方々と交流は無かったので、今日の交流会に参加するか迷っています。富岡町よりは浪江町に住んでいた方が長かったし、育ったのも学校も勤めていた会社も浪江が長いです。交流会どうしょうか、まだ悩んでます。それとは別に5順目の一時帰宅が迫っています。今回の帰宅の予約受付の方がとても気の利く方で、当日の入出受付場所を浪江町にしたら横浜から遠いのに、もしかして何処かに寄る為ですか?と聞いてくださり、実家の請戸を見てみたいと話すと、前回から時間内なら事前申請すれば好きな場所に行けたと言うではないですかうそでしょ~4巡目の時にお墓詣りに行きたいので町外に行けますか?と予約の時聞いたら「町内だけの移動となっています。」とキッパリ言われたのに予約受付マニュアルが統一されていないでしょでも、今回初めて津波の跡の実家とお墓に行ってきます。いまも想像すると胸が苦しくなってきます。こんなに時間がたってから思い出の詰まった場所が無くなった街並みを見るのが辛いです。でも、先に進むには必ず行かなくてはならない場所だとも思っています。何か目印になる物が残っているのかも分からないし。砂が堆積していて、実家の入り口も分かるかどうか不安。助けられたであろう命も3月12日には有った筈の相双地区海岸部。亡くなられた知人達の最後に見た風景がまだ多くはそのままあるんでしょうか。待ち望んでいたことだけど、考えると辛いな。