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わたしが、入院していた病院は、日本で初めて出来たてんかん専門病院で、そこには、日本全国から、てんかんを持った患者さんが集まっている病院でした。
今、医学が発達し、今までは、不治の病と言われていたてんかんが、手術で治るようになってきました。 わたしは、そこ(現・静岡神経医療センター)で、オペ(手術)入院していた時のことです。 わたしは、入院中二人部屋にいました。ひとつのベットは、いつも、オペをする患者さんの付き添いの親御さん(親)たちでした。 患者さんの親御さん(親)の言う事は、みんな同じ悩みを抱えていました。 自分が、「こんな病気にさせたんだ」と親の立場から自分を責め、その患者さん達のオペの最中悩み苦しんでいました。 わたしは、そんな親御さんたちを見、自分も満二歳の頃から親を苦しめてきていた。でも、オペをし、半身不随に自分はなったけど、この病院(静岡神経医療センター)に来て、オペをし、病気を治すことが出来ました。最初「半身不随になるかもしれないけどオペする?」と言われましたが、わたしは、それを承知でオペをしました。何故半身不随になる事を知っていながらと思う人も多いでしょう。わたしは、満二歳の頃からてんかんという病を持ち親を苦しめてきました。わたしに出来る親孝行は、何かと考えた時、わたしに出来る親孝行は、この病気を治す事だと思ったのです。 患者さん達も同じ思いで、病気を直しに来ているはず、そう思い、そんな親たちの姿を見ていられなくなり、もう、苦しんで欲しくないそう思ってその親御さんたちと話した事がありました。 「もう、そんなに自分を責めないで、だって、もう、何十年も苦しんできたのだから・・・ 子供の頃からいつ出るか分からない発作を持った子供をここまで、ちゃんと大きく育ててこれたそれだけでもすごいと思います。この病院とめぐり合えてここまで来たのだから、ここの先生の事を信用してください。そうじゃなかったなら、何の為にこんな遠くの病院にきたかわからないじゃないですか。今、彼(彼女)は、親孝行をする為に大きなオペをし、頑張っているのだから・・・少し落ち着いてオペが終わるのを待ちましょう・・・」 そう言うと多くの親御さんたちは、落ち着いてくれました。 親と言うのは、自分は、どうなってもいい・・・ 子供の為になら何でもしてあげたいと思うのです オペで直ると言っても、わたしのように半身不随になる事を恐れオペに踏み切れない人も多かった・・・嫌多いはず・・・ でも、発作がでなくなり、親を安心させることができるなら、とても重大な決心がいる時が必要です。何かを踏み切る事も大切な事だと言う事・・・ 親が自分の身をけずってでも自分を支えてくれようとしているなら親に対して、自分達も身をけずってでも、親孝行しなくてはいけない時もあると思います。 わたしは、オペする前、後遺症がでても、それを克服する為、一生懸命リハビリしていた友人たちがいました。彼らは、とても明るく何も負けたくないそんな強い意志を持っていました。 そんな友人達と出会い勇気を持つ事が出来、これは、私に出来る親孝行なんだと思う事ができ、オペに踏み切ったのです。 そして、今そんな障害をを抱えながら彼らは、結婚もし、会社で働き(トヨタ自動車etc・・)や市役所などで元気に働いています。 「病気だと言う事に少しもハンディを持っていない それどころか健康な者には感じられないモノを 感じ取ろうとして夢中であたりを探っている」 わたしは、何にでも負けて欲しくない 考え方次第で、ビクビクしなくてすむ事を知って欲しい 親孝行とは「子供が生きる事!」 それだけでも親孝行をしているんだよ 自分に出来る事だけでいい・・・ やるだけの事やってみよう 命あるかぎり・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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