「親父にもぶたれたことないのに!」で何言っちゃってんの?!で・・・
ロボットアニメ大好き少女の私がリアルタイムでTVアニメ『機動戦士ガンダム』を見ていた時代。主人公のアムロ・レイがホワイトベースの艦長ブライトに2度殴られるシーンがあって殴られた後に言ったセリフが「2度もぶった。親父にもぶたれたことないのに!」だった。思わず笑って、なんて軟弱な主人公なんだと思った。アムロの年令(15~6歳)になるその歳まで親にぶたれたことがないなんてちゃ~んちゃらおかしかったのだ。私の父親は女の子であろうとお構いなしに手をあげ、気に入らないことがあれば、『巨人の星』の星一徹みたいに、出来たてアツアツのおっきりこみ(群馬の郷土料理。煮込みうどんみたいなもの)が鍋ごと卓袱台(ちゃぶだい)の上にのせてあろうとも平気でひっくり返すような親父様だった。今でも記憶に残るのは小学校低学年の頃、近所の年下の子供達男女3~4人連れて1キロ程離れた所にある田んぼに、レンゲ摘みに行った。夕方暗くなる前に戻ってみると、道端に大人達が何人も集まり、その中に我が親父も加わって何やら気難しそうな顔をしている。コチラに気がついた大人がひとりの子供に駆け寄って来た。子供心に「あ~、夕方だから迎えに来たのかぁ」と、思って我が父親の顔を見た私。何やら嫌な予感を感じて、咄嗟に親達がいるのとは逆方向に走り出していた。何故って、父親の顔は般若か地獄の閻魔様かってな怖ろしい形相で、どうしてそんな顔をしているのか聞くまでもなく、ビビッた私の足は勝手に動き出していたのだ。あまりにも焦ったせいで、その時掃いていた下駄が片方脱げたにも係らずあくまで父の手から逃れようとした私を、父親は追いかけてきて襟元を掴み拾って手にした私の下駄で娘の頭をハリとばしたのだ。あとで父親に聞けば、子供達の姿が夕方になっても見えないので探していたトコロ我が娘の姿もなく、子供達の中では一番の年長者であったのでおそらく(私が)幼い子供を引き連れてどこかに出かけたのだろうという話になり心配していたところに意気揚々と帰って来た我が娘を見てご近所の手前と戒めもあってか多くの親御さんの見守る中の鉄拳制裁ならぬ下駄での制裁となった様だ。そんな話をしたのが父が亡くなる数週間前「下駄で殴る事なかったんじゃない?!けっこう痛かったの覚えてるよ。 いつか仕返ししてやろうかと思ったんだから」なんて冗談言って笑った数日後、仕返しもさせてくれないで突然逝ってしまって来月で19年。 ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ●そんなことをふと思い出したので、勤め先で聞いてみた。私 「親に武器、イヤイヤ・・・物、道具を使って殴られた、叩かれたってことある?」Sサン「私は電話帳、ヤンチャしてた時夜遊びに行こうとして父親に。 妹はビール瓶で叩かれたの見たことある~」Kサン「水汲みのヒシャク。アルミ製のだから叩けば凹んじゃうでしょ。 親は凹んだヒシャクの方を心配してたわよ」けっこう武器を使う親は多かった様だ・・・それも、大事な頭を狙うのは何故なんだろう?だから頭悪くなったのかもなぁ。女の子だったからか?さすがにアムロみたいに顔をぶたれる事はなかった。親だったら躾けの一環として、良くないことをした子供を叱るのは当たり前。話をして分からせることができない親、聞き分けの悪い子供。そこに手が出るのは致し方ないのであろう。昔の親は否応なく手を出す雷親父は多かったけどね。できることなら言葉で解決させて、必要以上の暴力は避けて欲しいものだ。今時は親子でありながら死に至らしめてしまう結果になる話もよく聞く。困った時代になったものだ・・・ ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ●そういえば出来の悪い私は、嫁いでからも親に叩かれた事がある。親といっても義母・・・姑にである。嫁ぐまでに一悶着、嫁いでから二悶着あったものだから嫁としてお気に召さないのは十分承知していたけど。その悶着を簡単に言えば、当時、一人息子である主人には中小企業の経営者の両親がいて、主導権は常務であった姑が握っていた。私はその会社の事務員で19歳で入社して、20歳でその一人息子と駆け落ちし、妊娠、結婚となって端から見れば押しかけ玉の輿なんて言われたし、姑からもそう思われていた。とんでもない!!私はお金持ちになりたいなんて思ったこともない。主人とは交際がバレたトタンに双方の親に反対されて「別れようか」と言った私に「絶対嫌だ」と言ったのは主人の方。駆け落ちしたのもその場の勢いで、家出中に妊娠1度目は流産で、2度目もその危険があったから心配した主人が自分の親に相談して帰宅する決断をした流れで、無事出産した後に体裁の為の結婚式をして。結婚の前後は私の父親が死ぬまで(13年間)実家にも帰して貰えないし、孫の顔だって、我が両親が見に来ることは許しても実家に遊びに連れて行くことさえ許されなかった。その間、主人との離婚を決意して3度実家に戻ったから実家で親に会うことができただけで、それ以外会うのは姑が決めた別の場所。3度目の家出で、実家に帰った時点で離婚は絶対覆さないという覚悟は、姑の【墓まで持って逝く理由】を聞いてしまったせいで離婚までに到達できず、現在に至るのだ。結局、長話になっちゃったけど、そんなことがあっての嫁だったりするし、嫁としての技量も可愛さもハナから全く無かったからその扱いも頭にくれば手荒になるのも分からないではないけど基本ナンでもワンマンな姑は自分の思い通りでないと気に入らない。台所の片付けが言った通りにやれていないからと言って手元にあったフライパンで頭を叩かれた。スリコギもあったナ。自分の一人息子にだって武器を使ったお仕置きなんてしたことなかったくせに。そんな姑も12年前の7月の今日、友人の運転する車で交通事故に遭遇し亡くなった。姑や父は親に叩かれた事あったのかな、なんて思ったりもするのである