彼岸に思うアレやコレ・・・神や仏を信じても
我が家の男衆は不信心だ。それに私の神様嫌いは姑のせいでもある。当時、我が家では絶対君主であった同居の姑に、「神棚と仏壇と外のお稲荷様のお世話は 嫁であるあなたの仕事だから毎朝欠かさず、水・お茶はあげて。 お榊は月の1日には交換する様にね」とか「『入り牡丹餅に明け団子中の中日赤の飯(小豆御飯)』 ってお彼岸には仏様にはお供えしないといけないのよ」とか 「お盆には御先祖の霊があの世から帰って来るの。 殺生はしてはいけないし、仏様は肉や魚は食べられないから。 お盆の間は仏様と一緒の精進料理を食べないとダメよ」「やるように仕向けられている・・・」と、思っていたこと自体私は不信心であったのだろう。嫁である私に依頼する前に信心があるならば姑が自らやるべき事じゃないのかと思ったのだった。実家の祖母は家族の誰に頼むことなく自ら毎朝神棚や仏壇に向って、線香をあげ手を合わせていた。信心とは心から神や仏を信じている者が持つものだ。神仏のお世話をあれやこれやと他人に頼むのだから毎日手を合わせるくらいは当然だろうと思えた姑だけれど、物日や気分がのった時だけで普段はあまり手を合わせたことがない。かえって舅の方がコマメに線香をあげたりが頻繁だった気がする。かく言う私も『困った時の神頼み』、若しくは神社仏閣に参った時くらいしか神仏には手を合わせたことはない。おまけに面倒臭がりで強制されるのは苦手のB型人間だから姑の言いつけは最後の最後まで日課にはならなかった。姑が亡くなって13年目になるが、今もって継続しているのは『入り牡丹餅に明け団子』お彼岸やお盆に仏壇に花をあげたりするくらいだろうか。(仏は仏でも亡くなった人間の仏になら手を合わせる)お稲荷様はお山の家に引っ越してから、粗末にしてはそれこそバチが当たると思い豊川稲荷へ御神体3体お返しした。親に多額の負の財産を背をわされた主人としては(実は血が繋がっていない親でもあった)命日に手を合わせるのも嫌なのかもしれないし、神も仏もあったもんじゃないくらいにしか思ってないのだろう。 ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● 「椿は頭が落ちるから縁起が悪いので仏壇にお供えしてはいけない」「花びらが散る花は仏壇が散らかるからお供えしない」子供の頃祖母に言われた。 「仏壇にお供えする花はどんなものが良いか」ネットで調べてみれば、爽竹桃や蔓珠沙華のような毒花花粉が落ちてお仏壇が汚れてしまうもの、トゲのあるものは避けるともある。しかし、故人が好きだった花がバラであったなら花びらが散ろうが、トゲがあろうがお供えしてあげたいと思う。「造花はありえない」なんてオバサンがいたけど生きた花を絶やさず供えられればベストの様に思えるが仏壇があっても花が飾られていなかったり、枯れたままだったりならいっそ造花の方が良いのではと考える。実際通販でも仏壇用の造花販売はされているのだから必要なご家庭もおありなのだろう。じゃぁ、鉢植えなんてどうなんだろう?と、今回のお彼岸で思ったワケでお仏壇を汚したりしなければ良いのではないだろうか暖房のきいた部屋でお彼岸の期間、生花を置いたらすぐダメになるかもとか考えたらガーデニング用に販売されていた花をカワイイ鉢に入れて仏壇に置いてみた。 アルメリア (仏壇から一旦下げてお水やりをしながら花にも日光浴中)我が家は猫が2匹いるので、やたら食べられたり悪戯されてもと家の中で観賞する鉢植えの植物はもう十何年も購入した記憶がない。アルメリアの尖がった葉っぱを見たら猫草かと思い食べたがるのではないかと心配したのだが、さすがに仏壇には手を伸ばさなかったので安心した。お彼岸が終わったら、殺風景で不毛な庭に植えてあげようと思ったり