去年の今頃何してた?女三人箱根~下田ドライブの旅【下田ぶらりと来宮神社】
コロナ禍去年のこの日、旅した3日目。黒船ホテルをチェックアウト後、下田の町を観光することに。何しろ下調べは全くしていないので行き当たりバッタリ感である。「下田ってどんな場所?」と、聞かれたら「幕末に黒船に乗ったペリーが来たトコ?」くらいしか答えられないであろう三人がやって来たのが~ 下田開国博物館 「黒船来航の記念館」とも呼ばれ、日本開国の記念館として、幕末の日本と下田の様子を一堂に展示・解説。さらに、下田太鼓祭りの館、日本開国の歴史室や下田の生活歴史室がある。幕末開港の街下田の歴史に深く関わる黒船・ペリー、ハリス・唐人お吉、吉田松陰、プチャーチン、下田太鼓祭り、企画展など、貴重で興味深い資料を数多く展示。下田の歴史がココでわかる。(Yahoo!HP、下田市観光協会HPより抜粋) 下田太鼓祭り 歴史好きだったら視点はココではないであろうが・・・館内展示でちょいと圧巻だった。人がこんな巨大太鼓橋を担ぐなんて凄い!!どういう作りになってルンだろう??祭りの熱気がプンプン出ている江戸時代スタイルのディスプレイワイルドなちょんまげイケ面マネキンの顔に個性もあってかなり見所のあるコーナー(だった。私には)下田太鼓祭りとは?江戸時代第2代下田奉行・今村伝四郎正長が創始した祭りのスタイルで、元和元年(1615年)、大坂夏の陣に大勝した徳川軍が大坂城入城の際、徳川の威厳を示し、志気を鼓舞して堂々と入城した陣太鼓をまねたものとか。下田の総鎮守社で応神天皇を祭神とする下田八幡神社の例大祭。毎年8月14日・15日神輿・供奉道具・太鼓台が神社から氏子町内へと繰り出し、祭囃子と共に一日中通りを練り歩く下田八幡神社から稲生沢川、平滑川にかけての市街地が巡行エリア。榊(さかき)、四神、矛などの飾りをつけた御道具といわれる小神輿を全て綱でつなぎ、両側から若い衆が総出で押し上げ、その勢いで弧を描かせて「太鼓橋」を作る。14日は4回、15日は10回、町内各所にてこの太鼓橋がつくられるとか・・・ (ニッポン旅マガジンHPより抜粋)下田開国博物館の夏休みイベントで毎年開催されている様で『下田開国博物館写生大会めざせ!歴史画伯』なるものがある。館内の好きなところ、モノ、人物等、館内ものならナンでも描いて宜しい様。期間終了後に抽選し、選ばれた5名様には賞品をプレゼント~なんて催し。我が姪っ子も絵を描くのは達者な方で選んだ被写体は1体のちょんまげイケ面マネキン兄さんの顔。館内には多くの有名人がいる中で「この人の顔を描いたのは今迄にいないです、それに上手」と、受付女子に言われて、ちょいとテレ気味姪っ子だった。 日蓮宗 法順山了 仙 寺 1625年に創設、1854年3月、日米和親条約が締結され、下田が開港場となると、ここ了仙寺が上陸したペリー一行の応接所となった。同年5月、和親条約付録下田条約が了仙寺で調印され、米人休息所となったとか・・・(wクリックでフォト蔵にトンで元画像で読めるよ) 了仙寺は<ジャスミンの寺>としても有名了仙寺では50年ほど前からジャスミンの栽培を始め、 境内から参道にかけて約1,000株のアメリカジャスミン(匂蕃茉莉)が植えられる。ジャスミンと言ってもハゴロモジャスミンやマツリカ等モクセイ科ソケイ属のジャスミンとは異なりアメリカジャスミンはナス科の植物花は直径3cm程で、紫から白へ花色が変化し、盛りには株が花で覆われるほどになる。満開となる5月中旬から下旬には周囲が甘い香りに包まれる。了仙寺が植樹したことで伊豆半島に広まったとも言われ、開花時は境内にてアメリカジャスミンの苗販売(1株1,000円)もある。香りもあって花期が(4月~10月)長く楽しめる様で、うちのご近所でも満開のニオイバンマツリがあってそれはそれは素晴らしい。妹が欲しがっていたので、贈ってあげようとも思ったが樹木全体に神経毒があるっていうし、猫を多頭飼いしているし・・・少々悩む。普通に庭木にしている植物調べたっていくらでも毒性のあるものはあるが、まんまん万が一を考えて別のものをプレゼントした後日。 花言葉【浮気な人】【情熱】【熱心】【幸運】参道の傍らに風化して誰のものとも分かりにくい塚があった。形状が風変わりに見えたので、思わずカメラを向けるも手前の石に刻まれた文字には【お吉塚】とあった。「あ~、もしかして唐人お吉の?!」何処で聞きかじったのかは覚えていないが、時代劇が子供の頃から好きだったせいか時代劇の好きだった祖母から聞いたか、その辺りであろう。 お吉塚 後で調べてみれば墓はここではなく、菩提寺とされる宝福寺にある。宝福寺にはお吉の記念館から祭りまであって、お墓は寄進までされているという。この塚にはお吉さんの何が納められているのだろう?初代米国領事館であった玉泉寺や下田市のHPで見る限りでは私は書き換えられた方のお吉像を知っているだけだった様だ。実在した人物であるのにその生涯が、後世の人間の手によって脚色されてしまうのは当たり前の現実世界。フィクションの方を信じてしまうのは故人にナンだか悪い気もする。 平滑川(ひらなめがわ) 了仙寺から【ペリーロード】に出る。幕末に黒船でやってきたペリー提督が了仙寺で日米下田条約締結の為に行進した道。現在は、了仙寺から下田公園への約500m程をペリーロードと言う。平滑川をはさむ石畳の小道沿いにはなまこ壁や伊豆石造りの風情ある家並みが続き、石積みの護岸や川沿いの柳もこれまた時代を演出している。江戸末期から明治、大正あたりまでの建物が多いという。夏休みだから本来はこんなじゃないんだろうなと思うことは多々あったけれど。コロナ禍の昼ちょい前、ひと気が殆ど無く静かな時間が流れていた。ただ、川岸に住む蟹達は賑やかに動き回っていた様な・・・大正7年に建築されたなまこ壁と伊豆石を用いた建造物平成24年4月より来遊客の休憩、案内施設として一般公開するもコロナ禍で臨時休館中だった旧澤村邸。 旧澤村邸 パスタと雑貨の店 通りの中程にある築150年の石造りの洋館を手直しして営業している【ページワン】パスタとピザを食べさせてくれるお店とか。ココも休業中~目を惹いたのはレトロチックなタイルで飾った表の柱?! ペリーロード周辺及び海を目指して行けば面白そうな歴史的に興味深い場所は多々ありそうだが、観光最終日の本日、妹親子は群馬までの帰宅を控えているので喫茶店を見つけて一休みした後、帰路につくことに。途中、熱海にある來宮神社に立ち寄る。 來 宮 神 社 姪っ子の口から「ここ、パワースポットなんですよ」なんて言葉を聞く。『パワースポット』・・・初めて聞いたのは一昔程前だったか。当時の勤め先の友人が「箱根の九頭龍神社に行ってきた」から始まり「パワースポットって知ってる?彼と二人で行ってきたんだ~♪」と・・・この辺りで聞いた気がする。因みに新語・流行語を収録する『現代用語の基礎知識』に『パワースポット』が収録されたのは1986年。1990年代にマスメディアに流通、広く知れ渡り人々が使うようになったのは2000年代に入ってからだとか。來宮神社は、スピリチュアルカウンセラーの江原啓之氏の「今、いくべき聖地」(マガジンハウス2009/12発売)でも紹介されたのを切欠に有名処のひとつになった様だ。今時の若者が年末年始以外で神社仏閣に参るのはそんな言葉にバックアップされた場所に限って好んで行くのだろうと無信心なオバサンは思うワケでパワーがあるのか、貰えるのかはともかく、木々に囲まれ素晴らしく整えられた美しいお社、境内である。最近も、1932年(昭和7年)不審火によって焼失したという來宮神社末社七社の社殿の再建工事が進められ2022年(令和4)年8月に復興完了という話。(確かにこの日も稲荷の赤い鳥居を並べてる最中だった)オープンカフェや各所ライトアップ、約70畳の御神札・御守授与所等充実した神参りが老若男女問わずできてしまう。(來宮神社HPより拝借) 弁財天オープンカフェ神社仏閣でハート型のストローなんて・・・リニューアルされる境内の中で、大いなる歴史を語り続けるのが御神木「大楠(おおくす)」樹齢2000年を超え、1933年に国の天然記念物にも指定その幹を一回りすると一年寿命が延びるという言い伝え(とりあえず1周してみたので、一年の延命は保てた今)太い根が地上に盛り上がり筋骨隆々たる巨大な姿に圧倒される。確かに來宮神社のパワーの源はココにあると誰でも思える主幹は3mで2分岐、向かって左側の幹は地上5m程で切断された様だが、1974年8月に襲来した台風で折れた痕だトカ。それでも右側の幹は地上5mで数本に分岐、元気旺盛!!である。幹周約24m、樹高約26m蒲生の大クス(鹿児島県姶良市)、武雄の大クス(佐賀県武雄市)と並んで「日本三大クス」と言われているそうな來宮神社の創建が710年(和銅3年)ということで当時既にこの楠は存在していたというのがスゴい話だ。樹木に語り部ができたらと思わずにはいられない。植物好きの私にとって今回の旅で一番の見所だった気がした。(妹親子に連れて来てくれて感謝!感謝!!)これにて2泊3日のぶらり旅話終了~