テーマ:50代の視点と日常(1298)
カテゴリ:我が家今昔物語
夏の活気はどうなるのだろう?
コロナ禍で昨年は海の家も出せなかったらしい。 この海でまさにオリンピックが行われるにしても 多くの人が期待するものや海の賑やかさは激減してしまうのだろうか。 ホテルの窓辺より posted by (C)くろすけcat 海が目の前に見えるホテルに宿泊できた。 みつけたのは偶然ていうか、たまたまなのに ボォ~ッとしながら考え事をするには贅沢だなぁ・・・ 海の見えるホテル posted by (C)くろすけcat 昔からあった古いホテルだと思っていたら、 トイレも浴室も肝心なところはリニューアルされているのか 綺麗で衛生的になっているのが何よりで 除菌スプレーもあったり、空気清浄機もあって、 コロナ禍を意識した配慮なのか、 ホテルの従業員との接触機会はフロントと食堂での案内のみであった・・・ 食事も付かないはずなのに 朝食はサービスでこ~んなに付けてくれた。 (自家製焼き立てパン・ゆで卵コーンスープ・オレンジジュース) サービスの朝食 posted by (C)くろすけcat コロナ禍じゃなければ食堂でセルフサービスだったのだろうか? 「食堂では召し上がれませんが、外で景色を見ながら召し上がって頂いても お部屋にご持参して頂くのでも大丈夫ですよ」 とのことで、お言葉に甘えて・・・ 江ノ島の景色を眺めつつ、 部屋で頂く焼きたて三日月クロワッサン・・・ 江ノ島とクロワッサン posted by (C)くろすけcat 息子らが江ノ島に参った記憶が無いという。 確か・・・幼い頃に姑達と来たことあった気がするのは私だけ。 ならば、と、 帰宅する前にちょいと寄ることにした。 江ノ島神社 posted by (C)くろすけcat 回 想 『結婚』ていうものがどんなものかも理解できてないうちに 親達の反対を押し切るどころか無視して、駆落ちして 籍を入れることがどんなことなのか後先考えず 勝手に二人で決めて、勝手に籍を入れたのは 長男が生まれる1年前の事。私が二十歳、夫は二十三歳 常識的にはありえないことである。 簡単に結婚してしまったくせに 『離婚』はどういうわけか簡単にはできなかった・・・ 世の結婚した女性が早々と離婚できるのが羨ましかったりした。 「子供がいるのに離婚なんてよくできるな」 なんてのは、はるか昔のご意見なのか。 私は子供がいても離婚は考えた。 現に離婚を前提に実家に戻ったことが 長男が小学校に上がる前に3回ある。 結婚の出だしが出だしだけに、同居した姑との折り合いが悪い。 いつだって家出する原因は 家柄に合わせられない不出来さを自己嫌悪する私と、 (コミュ障気味で気が利かないのは自分が悪いと思っていた) いつまで経っても気に入らないままの嫁が疎ましい姑とが (家事、育児、何をとってもモノにならない私に「育てた親が悪い」と言う姑) 繰りひろげた葛藤の末の終幕が、誰にも告げないでの家出になるのだ。 いつも原因は夫ではなく姑と離れたくて離婚を考えた。 このままだと精神病んで自死しかねないと思った末の覚悟。 「姑と結婚したワケじゃないんだから別居すればいいじゃない」 そう言われるだろうけど、 孫と一人息子が可愛いくて仕方ない姑が、素直にその選択をするわけが無い。 結局、子供ネックで私が戻り・・・嫁姑が忍耐の日々を再演することになる。 3度目の家出でさすがに間に挟まった夫も離婚を決意したらしい。 しかしそんな時、夫との離婚を止めたのは争い事の張本人でもある姑だった。 今、思うに・・・多分私は夫と結婚したのではなく 姑と結婚したようなものだったんじゃなかろうか。 二人の結婚式の段取りはほぼ姑だし、 (式を挙げるのが乗り気じゃなかった二人。式場、式服、招待客、結婚指輪まで決めたのは姑) 生活費は当時夫からはビタ一文も入らず姑の遣り繰りで成り立っていた。 (夫は自宅経営する3社分の給与がありながら、家計費と呼ばれるものは姑が全額負担) 長男出産後2年も経たずに次男を妊娠した時「まだ早いから」と反対したのは姑。 (「私は意地でも産む」と言い張ったのは姑にだった) 子供らを自分が選んで来た幼稚園に入れる手続きを進めたり、 (親が入用な時だけ同行させる) 休日に旅行やら娯楽をさせてくれるのも、近くの公園に一緒に行くとか (姑舅が行けない場合や遊園地等は夫が行く) お仕事お疲れ様~と、私が毎晩の様にマッサージしてあげたのは姑だったし・・・ しかし、姑にとって夫と私は 孫の「お兄ちゃんとお姉ちゃん」 自分が養う子供が4人いるようだと笑っていた。 江ノ島よりハーバーと腰越漁港 posted by (C)くろすけcat 「安易に結婚なんてするものではない」 自分の人生は勿論、相手の人生まで変えてしまう結婚。 結婚なんて全く興味も、する自分も想像できなかったあの頃に 夫に出会ってしまったことに後悔したこともある。 高校卒業後、行きたかった進路を変更させた父の反対さえなければ、 専門学校卒業時、先生が紹介したのが夫の両親が経営する会社でなかったら、 結局、父や先生を、過去を悔やんでみても 所詮、最後に決定したのは自分だ。 夫の人生に踏み込んでしまったのは私だったのかもしれない。 「土足で他人の家に踏み込んできた女」 結婚当初、姑に言われた言葉は強ち間違いではなかったのかもしれない。 片瀬海岸東浜海水浴場 posted by (C)くろすけcat 長男に 「あんな父親だったらさっさと俺達連れて離婚して くれた方が良かった」 なんて言われたことがある。 「自分は親がかりで大学卒業したくせに 自分の子供には奨学金を斡旋するようなことをして 大学に通わせる余裕も無いんだったらハナから 『金は無いから自力で行きたいなら行け』 そう言ってくれた方がよっぽど父親らしいし、 貧乏人が大学に行く覚悟だってできた」 長男は言う。 大学に行かせる口ぶりで、夫が出したのは入学金だけ (姑が残した保険金だってあったのに何に使ったのか?会社の経営とあとは使途不明) おかげで借りた奨学金を返す為に兄弟で働いて返す現在でもある。 夫ばかりが悪いとは言わない。 私だって一緒に無能な親をやってたのだ、 夫に任せきりだったのだから。 だから今、できることを息子達にしていく。 「離婚してくれないか?」 昨年夏だったか・・・夫が不意にそう言うので、ムッときた私は 「それはあなたが私に言えるセリフじゃないでしょ。 離婚を言い渡すのは私なんだから。」 言う立場は逆でも 三行半を突きつけられるのは私ではなく、夫の方じゃなきゃダメである。 離婚する理由が年追うごとに増えていくばかりで ず~っと結婚をご破算にして欲しかったのは私の方なんだから。 そう言いつつ結局、そんなセリフさえ言えないで 小道具にしようと用意していた離婚届の用紙も使わないままになってしまった・・・ 夫がコロナ禍の夏他界(2020年8月) (何年か前に夫に聞いていた望みをここで叶える) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022年01月11日 06時50分13秒
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