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敬老の日は昭和22年ごろにはじまったらしいのですが
昭和22年といえば 我が家の虫食いだらけの大黒柱も22年生まれ 77歳で敬老、といわれても ピンとこない 誕生日は祝いますが 敬老の日を祝う習慣が 我が家にはないなぁ、、 敬老と言えば 私が入院していた病院には 大正13年生まれ、今年100歳になるおばあちゃんが 二人いました 自分の父親が大正10年生まれだったので 生きていれば、、、と100歳を超えていたのか、と 一人の100歳のおばあちゃんMさんは 私の隣の椅子に座り いつもいっしょに食事をしました Mさんは まず ヨーグルトを そしてフルーツを食べます 食欲はすごいのですが 時々 それを上回って眠たい時があるみたいで スプーンを握って 眠ることもありました まるで 幼子を見るようでした ある日のことです 若い栄養士さんが アンケートを取りたいとMさんのところにやってきました 栄養士さんの言葉が理解できない風なので 通訳は私が 「今日のおかずは どうでしたか?」の質問に 返事が無いので 「美味しかったですか って 聞いてはりますよ」と通訳すると 「小さい時から いただく食事に文句を言うと 食べさしてもらえなかったから 出されたものはなんでも食べます」の返事 う~~~ん そうやないんよね こまったなぁ、、 お皿を指さし「お味はどうでしたか?」と聞くと 同じ答え「美味しい とか まずいとかではなく 全部食べます」しか 返ってこない もう一人のおばあちゃんWさんは 目が見えないし 自力で起き上がることができないので ベッドを起こして 食器を確認しながら 自分で食事をしていました しっかり食べるのですが これは味が無い とか 食べにくいおかずや、とか言うんです まもなく100歳になるふたり お元気でした 明治 大正 昭和までは言えます Wのおばあちゃんは よく独り言を言ってました 自身の若い時のことなどや戦争の話 私が見たこともない景色の話をしていました 私が聞いてるのは知らないです 夢うつつで話していました 朝鮮からロシアにそして満州 北京に着いたところで その日の話は終わりました そうそう 夜中に歌も歌ってました 『あ~~よいやさ よいやさ』と手拍子も入って ご自身が元気に仕事をしていた頃を思い出しているんだと 長い入院生活を飽きることなく過ごせたのは このお二人のおかげかもしれません お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.09.16 19:18:22
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