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人間、血が頭に上りやすい。 それが自覚できているときには、用心しているから発言を控えたり 慎重な行動をとることができる。 ところが本人が気づかないうちに頭に血が上っていることがある。 少々アルコールが過ぎた状態で考えたことなどは、一面の真実をついてはいても、 一番肝腎な問題点を見過ごして、枝葉末節、 ある意味では“ど~でもええこと!”に一人(あるいは群れて) カッカとしていることがあるものだ。 酔った状態になると、人間は短絡的になる。 ある事象を示されたらそこまでに至る過程はすっ飛ばし、 結果事象に対してしか目が行かない。 そしてモノをいいやすい話題なら、「自転車置き場の議論」に参加する。 (1) 今回の大相撲八百長報道で発端となったメール暴露。 (2) 大相撲に於ける八百長の是非。 反射的にみんなの頭に浮かぶのはたいてい “国技(orスポーツ)である大相撲で八百長が行われるのはけしからん!” だろう。 ・・・・ただの感情論とどこが違うのか? 自分の期待を裏切られたというだけのことではないか!? 今回の経過を冷静に見た場合、 自分の単なる感情論よりも優先して問題にしなければならないことは何なのか。 (1) 警察が捜査の必要(?)から押収した証拠としての私信メールが「官」から リークされたこと、それに飛びつき「権威ある公式筋から」を報道する マスコミ、これに薄ら寒さを感じないか? その前を言えば、道徳的観点からではなく法律的観点から見て、 大相撲に於ける八百長は刑事事件としての「犯罪」といえるのか? 犯罪と思量されるならいったい刑法第何条(or特別法上のどの条項)違反と 考えるのか? 当該罰条がないなら、それは警察が動くべき問題ではない。 「法治国家」というものを我々が本当に意識するなら、 警察の一連の動きこそ不可解に感じる。 そのリークに飛びつき、独自取材によってウラをとらずにそれを発表し、 法と道徳の区別無く ごったな是非論を並べ立てる(正義を標榜する)マスコミさんたち。 だいたいにおいて、私信メールが暴き立てられること自体が異常なのではないか? (2) 大相撲は国技なのか? その客観的根拠は? 八百長とは何なのか? これまでにあがった八百長疑惑はどんなケースか (「☆の貸し借り」,「☆の売買」) 。 八百長の定義次第では、この世に八百長がないスポーツなんて存在しなくなる。 「ファンが期待するものを提供できない興業はさびれていく」ということと、 「ある行為が法律上許されない」ということは明らかに異なる事柄だ。 その意味では、 今回のケースで冷静に問題視されなければならないのは上の(1)の方なのではないか!? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011.02.05 17:15:36
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