トラじい
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24日に国立ナヴォイ・オペラ・バレエ劇場で日本文化紹介の催しがありました。元禄花見踊り能楽の獅子、日本舞踊の鷺娘などが紹介されました。出演者はサマルカンドの世界音楽祭に出演した葵七皆、大蔵正之助、大野誠、松井彬、松井俊介など。ウズベキスタンの舞踊団オファリンの賛助出演があり大いに盛り上がっていました。
2007.08.26
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タシュケントは元々オアシスの町ですが、市内は大きな樹木が育ち緑豊かな街になっています。市内のあちこちに噴水栓があって散水をしているのですがこの水は市の北東から東を流れるチチリク川からカナルと呼ばれる水路を通って市内に取り入れられています。カナルは市の北東から南西に流れていますがかなり水量があります。アルマザール通りにかかる橋の下には堰が設けられていますがこのあたりはかなり流速がありカヌーの練習場になっています。又このあたりに泳ぎに来る人もいます。
2007.08.25
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9月1日はウズベキスタンがペレストロイカの波に乗ってソ連から独立した日です。街はこれを祝うための飾り付けが早くも始まっています。大通りには国旗が飾られています。旧ソ連の影響下の国は細長い旗を飾るのが好きです。市内のウズベキスタン公園の回りや中にはこうした飾りが沢山出来ています。橋の上には沢山の幟が立っています。日本ならさしずめ不動産の広告といったところですがここでは色とりどりの単色の旗が並んでいます。
2007.08.24
タシケントも最近はすっかり秋めいてきて木の実も姿がはっきり見えるようになりました。どんぐりは未だ緑色をしていますがもう一人前の大きさになっています。今まで栃の木だとばかり思っていた木の実を眺めてみるとナント似ても似つかぬ実が!やはり所変れば品変るです。中にははじめてみる赤い花と実もあります。葉はイチジクの様でもあります。
2007.08.23
仕事の帰りに見たムクゲの垣根です。タシケントの市内では時々ムクゲを見かけます。6月から咲き始めそれ以来ずっと咲いています。長い間雨が降らないので木々の緑も心なしかくすんできていますがムクゲは元気です。今日の高校野球の決勝国際放送でも放映され大逆転のシーンに手に汗を握りました。
2007.08.22
当地も大分涼しくなったとはいえ今日の最高気温は35℃。夏の風物詩スイカ。ここではスイカもメロンも大変甘く毎日食べています。街角には少年が小さな台車に乗せて売りに来ます。どちらも大変大きいので家の前に売りに来たのに声をかけて買います。路上にもスイカ・メロン売りがでていますが、私のような年寄りには運搬が問題で買うことが出来ません。
2007.08.21
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日本は記録的な猛暑のようですがタシュケントは今日の最高気温は35℃最低気温は15℃で一時よりしのぎやすくなってきました。特に朝夕の爽やかさはなんともいえません。夏といえばムクゲ、サルスベリです。ここではムクゲを時々見かけますがサルスベリはあまり見かけません。先日散歩の途中に見かけてすわ!と駆け寄ってみましたが似て非なる木でした。
2007.08.20
メドレッセというのはイスラム教の学校のことで大体16歳で入学して4年間学びます。宗教だけでなく数学や国語、理科など通常の学校と同じ教育もします。中庭を囲む2-3階建ての方形の建物になっているところが多いようです。写真にある19世紀の新学校アブドラ・ハシム・メドレッセは正確にはメドレッセ跡で教室の跡がウズベキスタン伝統工芸の工房になっています。このメドレッセは中庭が広く樹木が植えられていてその木陰にチャイハナなどに良くある涼み台を置いて工匠たちがくつろぎの時間を過ごしています。建物の中は不思議に涼しく緑溢れる中庭には静かな時間が流れています。
2007.08.19
今月はサマルカンドで世界音楽祭が開かれますがこれには日本舞踊と能楽が出演します。その流れでタシュケントのナボイ劇場でも来る24日に開催されます。この劇場はソ連が日本兵捕虜を使役して建設したことで、日本の技術力の高さを示す象徴となっています。
2007.08.17
8月15日は終戦を振り返る番組が多く放映されました。原爆も含めて戦争の被害者に関するものが多かったようです。戦争の被害を一方的に受ける一般民衆の声は戦争の悲惨さを際立たせます。しかし国として他国に対しては加害者であったこともよく考えてみたいものです。終戦後ソ連に送られた日本兵は63万人ソ連各地で強制労働に従事させられました。ウズベキスタンにも約2万五千人が送られここで6百数十人が亡くなりました。お墓は各地にありますがここタシュケントのヤッカサライのイスラム墓地には79名が葬られています。戦後ウズベキスタン人が墓を守ってくれていたようですが、最近は遺族や大使館により整備が行われています。今年も日本センターと青年協力隊により慰霊祭が行われました。
2007.08.16
お盆休みを利用して長男がタシュケントに訪ねてきました。市内に一泊の後サマルカンドへ行きました。サマルカンド行きの特急列車レギスタン号が毎朝7時に出ており3時間50分でサマルカンドに着きます。私も不案内な長男のためにタシュケントの駅まで長男を送ってゆきました。駅は改札がなく列車に乗る時に切符を見せて乗り込みます。長男の感想は「なかなか快適」ということでした。切符を買うのは当日では難しく前日に買っておく必要があります。
2007.08.14
イシククル湖を後にした私たちは帰路アクベシムの遺跡とブラナの塔(カラハーン朝の都バラサグン)を見てビシュケクに戻りました。アクベシムの遺跡は6世紀以降突厥の都があったところで唐代に僧玄奘が突厥の王に面会した素葉城の跡として知られていますが今は高原の中の小高い丘と発掘の跡があるばかりです。玄奘はイシククル湖の横を歩いてこの地に達しました。「城の周は6,7里、諸国の商胡は雑居せり」と玄奘は書いています。最後の写真はビシュケクのホテルから撮ったアラムズン(4895m)とアイトマトフ(4650m)の遠望です。この麓のアラアルチャ渓谷も素晴らしい渓谷です。
2007.08.12
今住んでいるウズベキスタンはオアシスの国で滅多に雨が降らず河川は下流に行くに従って細くなりどんどん砂漠に水を吸い取られてゆきますがここキルギスは山国です。本当に2ヶ月ぶりに雨らしい雨に会うことが出来ました。渓谷の激流は轟々と流れています。しかしこれだけ雨が降っても山には僅かな天山モミが生えているだけで殆どは禿山同然なのは地質の違いとはいえ日本人には不思議に思えます。イシククル湖とクンギョイ・アラトウ山(4,760m)の景色です。 ウズベキスタンの人が農耕定住民なのに対しキルギスの人たちは騎馬民族の伝統を色濃く残しています。乗り物は車より馬という感じで子供たちが上手に馬を乗りこなしています。漢の武帝が汗血馬を求めて李広利を派遣した大宛国はここより更に西のアンディジャンです。
2007.08.10
イシククル湖の標高は約1600メートル。湖の東岸の町カラコルで約2000メートルです。お花畑があちこちにあり野花が美しく咲いています。チョン・アクスー渓谷(標高2000メートル)でケシの花を見つけました。良く見るとあちこちに咲いています渓谷の急峻な斜面にホタルブクロを見つけました。名も知らぬ草花が咲き乱れています。これはレースフラワーでしょう。イシクルのあたりはこの花が沢山咲いています。カラコルの上の谷で撮りました。湖岸のホテル近くに沢山あるアザミ風の花です。葉は丸く棘はありません。最近日本のニュースを見ていて分からないことーーー何故安倍さんが辞めないことにもっと文句が出ないのか? 何故民主党は前々回の選挙で負けた郵政民営化について凍結法案を出すのか? 今の政治家は選挙で問うた民意に対する感覚が麻痺してやしないか。しかし、柏原の市長さんのように冴えた人もいるので地方自治体まで考えるとまだ完全に絶望とはいえません。
先週は夏休みをとってビシュケクとイシククル湖に行って来ました。最近タシュケントは38度前後の気温で雨も滅多に降りませんので避暑が目的です。果たしてイシククル湖の辺りの気温は20度台で肌寒く感じました。雨も降りました。湖水浴客が沢山カザフなどから来ていました。ここの見所はなんと言っても7000メートル峰を擁する天山山脈の眺めでしょう。
2007.08.09
タシュケントは公園が多いのですが野草の種類はそれ程多くありません。名前が分からないので若しご存知の方は教えて下さい。上の花は朝開いて昼ごろには花を閉じてしまいます。乾燥地帯の植物らしく小さな葉があるだけなので花を閉じると枯れ草のように見えますが翌日になると又花を開きます。上の花はつめくさの一種でしょうか。花は可憐で7月に入って咲き始めました。上の花は小型の昼顔のようなつる草です。しかしこの花はやはり朝咲いて昼には花を閉じます。蔓もあまり長いものではありません。
2007.08.08
町には結構高層アパートもあります。広い敷地に立っているので余裕はありますが少し老朽化しているのが問題です。マハラというのはウズベキスタンの伝統的な互助組織で地域ごとにあり長老が取り仕切っています。最近は政府もこれを利用する傾向にありますが若者たちの無関心が問題だそうです。8月は瓜の季節です。スイカ、メロンの甘さは格別でしかも安いのには驚きます。このカボチャのようなメロンが一番甘くて上等です。
2007.08.06
タシュケントの町を少しご紹介します。下のアパートは私が住む2DKのアパートです。なにやら難民アパートめいていますが中に入ればまあまあです。ソ連の時代にこのアパートの一室を支給されそのまま住んでいる人がほとんどで従って年寄りが圧倒的に多いのですが世代の交代とともに貸し出されたり売りに出されたりしています。4階まで届くような緑の木があって暑さがさえぎられ居心地は悪くありません。最近は少しずつアパートの中の人とも付き合いが始まっています。ウズベキスタンといえば回教国しかもスンニ派の国ですがキリスト教や仏教と平和的に共存しています。写真はキリスト教会です。上の写真で見るように道路は余り良いとは言えません。雨が少ないので水溜りはあまり出来ませんが足元に注意して歩かなければいつ穴ぼこに落ち込むか分かりません。しかし、とても緑が多い町で公園がいたるところにあります。わりと銅像が好きであちこちに色々な人の銅像があります。下の銅像はボハドール・シャストリという人の銅像です。ウズベキスタンのヒーローはティムール帝国を築いたティムールですがその5代下にバブールという人がいます。この人はティムール帝国が崩壊した時の当主ですがその後インドに逃げてムガール帝国を作りました。そして何百年もたってその子孫でインドの宰相となったのがこの人なのだそうです。
2007.08.04
12時10分コラトーシュを出てナボイに向かう。ナボイの博物館を見学。ここには昨年函館のシルクロード展で使われた日本語の解説文が壁にかけられている。メハラブ(メッカの方向を示す門)をかたどったスザニなどが展示されている。バクザール横のオクショ-マというレストランで昼食の後16時10分出発サマルカンドに向かう。18時30分サマルカンドのレギスタン広場に到着。現地の青年海外協力隊員らと再会。今日は土曜日で結婚式が多い。19時35分考古博物館に立ち寄る。ここには7世紀のソグド人の王朝の壁画がある。これだけを管理人に無理を言って見せてもらった。その後アフロシアブの丘を見る。アフロシアブの丘はジンギスカンによって破壊されたサマルカンドの跡と信じられていたが発掘調査の結果紀元前4世紀に27歳のアレキサンダー大王が進駐したマラカンダのあった場所であることが分かった。今私たちはその丘に立っているのである。丘には綺麗なランの様な花が咲いていた。鋭いとげがありこれはもしかしてラクダ草ではないかと思ったが、誰も名を知っている人はいない。砂漠のラクダ草とは葉が似ているような気がする。サマルカンドを出たのはもう暗くなった8時半。運転手のトリクさんも疲れているだろうと思うが大丈夫とひたすら国道M39,M34をひた走る。彼はウズベク3位の鉄人だったそうだ。夜1時半無事タシュケントに到着。
2007.07.19
このテント(ユルタ)は全部で7つあり一つのテントには詰めれば4人は泊まれる。私は黒一点なので運転手のトリクさんと相部屋である。ここは何も設備が無いので水から食べ物まで全てヌラタかナボイから持ってきているという。しかし、ウォッカ付きの夕食セットは野菜、肉、スープなどなかなか豪華である。電気も薄暗いが一応食堂には点いている。ウズベクとタジクの混血の母を持つマリカさんの民族談義を聞く。ウズベクの男性はロシア人の女性が好き、タタール人の男性は体格がよく頼もしい。アルメニアの女性は例外なく美人、グルジア人は特に親を敬うなどなど。グルジア人の専制君主スターリンも母親には頭が上がらなかったらしい。夜はキャンプファイヤーを囲みながらウズベクの楽器を奏でる若者の恋の歌に耳を傾けながら夜空を見上げると天が直ぐ近くに迫ってはっきりと星が見える。歌が終わると砂漠の静寂が私たちを押し包む。時間は夜10時半。翌朝の朝日が又美しかった。日の出は午前6時18分。砂丘の上に上がる時砂が冷たかったのが印象的。朝寝起きにシャワーを浴びる。シャワールームは板囲いにカーテンをつけた簡単なもので水もちょろちょろだが爽快。朝は寒いくらいである。朝食もコーヒーまで出て至れり尽くせり。ユルタの前に背黒セキレイが来た。尻尾が短いのと頭頂から背にかけて縞が入っているので正確には背黒ではないだろうが尻尾を振る動作はそっくり。ひばりのようなのもいる。草原の空の近さと何処までも何もないというこの開放感はなんだろう?日本では絶対に味わえない景色である。 8時半出発。湖に別れを告げヌラタからナボイへ向かう。今日は雲が出ていて見渡す限りの草原が太陽に照らされたところの雲の陰でまだら模様が出来ている。ナボイに向かう道を行くとガズガンの名で知られる大理石の採掘場の横を通る。この大理石はタシュケントの地下鉄建設に使われた。ナボイへの道から東に曲がり、サルミッシュの岩絵を見に行く。場所はコラトーシュ(黒い石の意味)の渓谷にある。15キロの渓谷の両側に屹立する岸壁に3000以上の岩絵があるという。1946年に発見され研究の結果紀元前2世紀頃のものと判定された。又この渓谷には多くの薬草が生育しておりかの有名な哲学者、詩人にして医者でもあったイブン・シーナが薬草を集めに来たところでもある。今はまだ全く注目されていないが何れ観光の名所になるだろう。珍しい花を発見、がけを降りて近づいてみると咲き終わった花だった。しかし美しい花の片鱗が残っていた。続きは又明日。
2007.07.17
ヌラタは人口8万の都市。この辺りは海抜524メートル。かって紀元前4世紀にアレキサンダー大王の命により将軍ファルハンクにより作られたと言う城壁の跡が残っている。この下にアラブから来た聖人ハサン・ヌリが8世紀に立てたと言われるモスク・ヌラタ大聖堂がある。小メッカと呼ばれた大聖地である。今残っているのは16世紀にブハラハン国王の命で再建された建物だが天井のドームがとても大きい。一秒400リットルの湧水がありマスの様な魚がいる。午後4時10分出発又ひたすら草原を1時間走る。やがてお目当てのアイダルクリ(湖)が見えてきた。この湖は南北7Km 東西45Kmの大きな湖で水は少し塩辛い。湖畔では野生のウサギやねずみのような動物、トカゲなどを見る。19時お目当てのユルタ(遊牧民のテント)に付く。30分ほどラクダライドの後、午後8時大草原の落日を見る。
2007.07.16
ウズベキスタンの真ん中辺りにヌルタというところがあります。ナヴォイの北60キロにあります。観光のお手伝いに来ているIさんがタシュケントから車で行きヌラタから更に北にあるアイダルクル湖の北岸にあるユルタ(遊牧民のテント)に一泊して来ようという計画を立ててくれましたので勇躍参加することにしました。メンバーは青年協力隊の若者6人とIさん、私、ガイドのマリカさんと運転手のトリクさん合計10名がヒュンダイのランドクルーザーで朝6時出発。約1時間半でシルダリア川を渡りました。出発後2時間半一休み。綿畑は花盛り、メロンを山積みして売っている。メロンは一個150円くらい。出発3時間半 ジザクから西へ折れて綿畑の中を走る。コンクリートの水路下水を補給している。畑が切れる頃羊の群れに遭遇。4時間ぐらいからあたりは一面ステップの風景に代わってくる。ただひたすらステップ(草原)を走り続けて出発後6時間半でヌラタに到着。昼食はボルシチとポロフ(ピラフ)、子供たちがポンジュールといって挨拶してくる。フランス人が来るらしい。この続きは又次回にさせていただきます。
2007.07.15
タシュケントは道路が広く車の台数が少ないので渋滞はありません。Daewoo(韓国ブランド)の車をノックダウしておりNEXIA,MATIZ,KACETTIといった車が幅を利かせています。欧州の車と日本のトヨタ、日産なども時には見かけます。ソ連時代の車もモスクビッチ、ラド、ボルガなどがまだ健気に沢山走っています。ソ連の車はクラシッックカーの風格すらあります。写真はモスクヴィッチです。タクシーはとても安く庶民の足になっています。
2007.07.08
タシュケントは首都としてあらゆる市内交通機関が揃っています。地下鉄、近郊電車、市電、乗り合いタクシー、バス、トロリーバス、タクシーなど。地下鉄と駅はテロ防止のため撮影禁止になっていますので写真は取れません。バスは比較的新しい車両もありますがそのほかはかなり老朽化した車両が反って旅情をそそります。乗り合いタクシー(30円)を除き一乗り20円です。
2007.07.07
7月に入り果物やスイカ、メロンなどが沢山出回るようになりました。6月にあったイチゴ、ベリー類、桑の実などに変わり杏、桃、リンゴ、葡萄などです。小ぶりではありますがこちらの果物はとにかく甘いのが特徴です。こちらでは干し葡萄、杏、棗、メロンなど色々な種類の干し果物がありますがこれらも甘さは飛び切りです。スイカやメロンもそろそろシーズン入りです。まだ味わっていませんが日本のものとは比べ物にならないほど甘いのだそうです。
2007.07.02
6月は結局一滴も雨が降りませんでしたが、これはタシュケントではよくあることです。木々ももう秋の気配で実をつけ始めました。草も水が無いのでもう種をつけて早くも枯れ始めています。一方散水栓のある公園の草はまだ緑を保っています。
2007.07.01
ウズベキスタンは宗教の自由を保障しています。国民の85%はイスラム教(主としてスンニ派)です。この国ではキリスト教、仏教、ユダヤ教とちゃんと共存しており先日ロンドンで共存の秘密についてセミナーが開かれたほどです。タシュケントにはメドレッセといわれるイスラム教の高校があり16歳で入学して20歳で卒業します。一般教養だけでなくコーランを勉強します。写真は16世紀創建の伝統ある学校でこの青い色彩が歴史建築の特徴です。内部は2階建ての教室があり今も中で講義が行われています。この講義は何についてのものかよく解りませんが仏教の曼荼羅を連想させます。
2007.06.26
夏雨が降らないウズベキスタンの人達は噴水が大好きで至る所に噴水と冠水装置があり緑を守っています。
2007.06.25
連日当地では40度を超す猛暑が続いています。市場は野菜やスイカ、メロンその他の果物が豊富に出回っています。
2007.06.23
今日のMSN天気によるとここタシュケントは41度を記録しました。丁度午後2時にトロリーバスを待っていると溶鉱炉の横に立っているように肌がじりじり焼けて居るのがわかるようでした。6月にはいってから我が家の辺りは一滴も雨がありません。野原の花もそのままドライフラワーになっているのでこれを採ってきて家に飾ってみました。
2007.06.21
山に向かって走り続けるとやがて道は尽き谷川がありました。何人かの人が行楽に来ていました。野原の草はよく見るといくらも種類がありますが名前は分かりません。養蜂家がトラックを止めて草原に咲き乱れる草花の蜜を集めていました。真っ黒に日焼けしてしかも色艶の良い老人が日本人を見るのは戦後の捕虜以来だと大歓迎してくれました。この蜂蜜はきっと天山の蜂蜜のように価値がありそうです。
2007.06.18
ペルケントの草原を車で走っているとヤローの黄色い花が道端に群生していました。ある場所では葵の群生地も見られました。へばりつくように乾燥した大地に根を下ろした名も知らぬ草花を沢山見ることが出来ました。
2007.06.13
ペルケントのあたりの草原は山襞のゆったりとした影を見せながらそれでも何処までも続いていました。それは恐らくカザフあたりの草原とは又趣が違うのでしょうが、モンゴルやチムールやアラブの馬蹄の響きが聞こえてきそうな雄大な眺めでした。この感動を写真では取れないのが残念です。
2007.06.11
ペルケントはタシュケントから40キロほど東へいったところにあります。タシュケント市の東にはチャッカル山脈がありこの後ろにはタラス川とシル河を隔ててを天山山脈が屹立しています。チャッカル山脈の南東の山懐にはカザンがあり、フェルナガ地方へと降りて行きます。カザンはかって漢の武帝が汗血馬を手に入れるために大軍を派遣して攻撃した貴山城に擬せられている古跡です。チャッカルは天山山脈に比べると小さな山塊ですがそれでも最高峰は3789mもあります。ペルケントはそのチャッカルさんが始まる入り口の小さな町です。葡萄を栽培しています。今日の写真はそこに至る途中の綿花畑の様子です。タシュケントの横を流れるチルチク川から水を引いています。
2007.06.09
6月になるといよいよ暑くなってきました。最近の統計によれば6月は最高気温が37.2度最低が12.2度平均25.7度となっています。降雨量は1.7mmです。毎日良い天気が続きます。近くの大通りにあるねむの木が一杯花をつけ夏の気配が更に濃厚になりました。市場にはスイカ屋、メロンも並び始めました。なす、ピーマンも出盛りです。
2007.06.06
タシケントはは治安もよく物価も安く大変住みやすいところです。市場の写真は4月に取ったものですがもう豊富な野菜で溢れていました。野菜は日本とよく似たものをうっていますが、チーズやソーセージ、ハム、キャビアの売り場は圧巻です。何処の国でもそうですが市場はその国を最もよくあらわしています。国際フードフェスティバルが迎賓館で開かれたので覗きに行きました。ウクライナやカザフスタン、トルコ、イラン、インドなど近隣諸国の参加で開かれたものでしたが、華やかな音楽と各国の料理が堪能できました。かって捕虜になってソ連に連れ去られた日本の捕虜たちが建設したというナボイ劇場があります。日本の技術の高さを表す象徴になっています。ここは大変バレーが盛んで結婚式の演しものにバレーが出るほどですがナボイ劇場にも市民たちは気楽な服装でバレーを楽しみに来ています。場面はくるみ割り人形です。
2007.05.31
暫くご無沙汰していました。ホテルからウズベクの民間アパートに入ったのですが、ADSLが開通するまで一ヶ月以上掛かりました。何事もゆっくりのこの国では別に変わったことでもありません。よき隣人に囲まれた生活をこれから徐々にお知らせします。まずは植生があまり変わらなくて面白くも無い写真ですが4月末に撮った何枚かをご覧に入れます。私のアパートの一階で少女のためにボーイフレンドが作った誕生祝のバラの花びらが一番下の写真です。
2007.05.30
タシュケントの市内で一番多く見かける鳥はムクドリです。カササギ(と思う)も良く見かけます。当地の鳥は日本ほど警戒心は強くないのですが写真に取るのは中々難しくカメラを向けると飛び立ちます。たまたまカササギが取れました。不思議なことにカラスはいません。雀、鳩、土鳩は良く見ます。ここへ来た時は寒かったのですが暖かくなると花が一斉に咲き今日はジャスミン(と思う)が咲いてよい香りがしました。写真がそれですが植物図鑑がないので未確認です。松、桑、柏、カエデ、スズカケなどの街路樹をこれまで見ました。チムール公園には巨大なスズカケの並木があります。真ん中に見えるのがこの国の英雄チムールの銅像です。
2007.04.21
この地に来てとても落ち着いた気持ちでいられるのはこの地の人々が人を思いやる心を持っていることによるものだろう。この地はかの有名な詩人アリシェール・ナヴォイが生まれた国でもある。「急ぐことは滑稽だ」老年に達した詩人は彼の詩の中でこう述べている。これはこの国の国是でもある。ゆっくりと確実に国づくりをやっているので私はここへ来てほっとしたのである。この国の植生は驚くほど日本と似ている。タンポポ、リンゴの花、栃の木の花その周りにある雑草も日本と変わりはない。「ナヴォイ曰くこの世からおさらばする時に借りを残すな、仕事を残して去ることは、体を半分だけ洗って風呂から出るようなものだ。」まだ遣り残したことがある間は生きている意味があるということである。
2007.04.13
3月28日に到着したときは寒さに震え上がりましたがたった2週間のうちに花が咲き新緑がまぶしいほどになりました。ナボイ劇場はソ連に抑留された戦後日本人捕虜が建設し大地震でも唯一倒壊を免れたと言うことで知られています。今やウズベキスタンとの友好の象徴です。
2007.04.11
ウズベキスタンの桜と言えばかの中山恭子さんの著作がありますがその日本大使館に咲いていた桜の写真をお目にかけましょう。今ここで家を探していますが、日本人となると中々安くは借りられないのが現状です。日本にも私のような貧乏人がいるのだぞといっても「うそ言え!」といった顔をされるのには困ります。しかしここの人達は決して外国人に積極的に話しかけたりせず静かな感じでしかし思いやりは人一倍です。地下鉄に乗るたびに若い人がさっと立って席を譲ります。勿論同国人の老人に対しても同じです。チムールの記念館で高校生(といっても日本の高校生よりはるかに純真です)たちから片言の英語で話しかけられ大いに老青の交歓をしてきました。記念館の中は撮影有料をケチったので写真が取れなかったのが残念でした。この国の植生は日本と良く似ておりタンポポや犬ふぐり、スカンポなどが生えています。連翹も咲いています。
2007.04.07
花のお江戸をあとに3月28日タシュケントにやってきました。ウズベキスタンは親日、サマルカンド、ブハラを始め古代都市などで知られる国です。メールなどのスピードが若干遅いのと、こちらでいろいろこの国の人たちとの親善に勤めたいと思っていますのでどれくらい投稿する暇があるか今のところ分かりませんがこの素晴らしい国の自然をできるだけ多くの人に知ってもらいたいと思います。機中からの天山山脈、タクラマカン砂漠を見て感激しました。
2007.04.02
石原知事の本丸、都庁第一本館42階から新宿御苑方面をみた写真です。写真には入っていませんが右手には神宮外苑の森が見えます。
2007.03.24
今日はやっと暖かくなり絶好の散歩日和です。都知事選の不在者投票をしに練馬区役所に行きました。区役所の20階から見ると新宿副都心が近くに見えます。中野サンプラザはもっと近くに見えます。
2007.03.23
町は刻々変化しています。私の周辺では感覚的には次のような変化がありました。1.減ったもの 本屋、時計屋、金物屋、魚屋2.増えたもの コンビニ、ドラッグストア、めがねストア、不動産屋、100円99円ショップ市場の辺りは余り変わりませんが、周辺は常にいろいろな商店が出ては消えています。今日商店街に出ていて目に付いたのは税務署ののぼりです。大変親切に場所をのぼりで教えています。確定申告には多数の指導員がいて書類作成も簡単です。今日用があって都庁に行きました。新宿中央公園ではコブシが満開でした。
2007.03.22
今日は東京で桜が6輪咲いたとか。寒い中での開花宣言でした。今年は暖かかったせいか、庭では春蘭が花を沢山つけました。
2007.03.20
久しぶりに畑をのぞきに行き青首ダイコン、菜の花、ワケギなどを収穫。このところ朝はまだ零度以下になるようですが昼は暖かい陽だまりになっています。もうジャガイモの植え付け時期になってるのですが、今年は故あって一旦畑は中止することにしたので地主のAさんに再開までの管理をお願いし耕運機などを畑から撤去しました。しかしウドやトマトの支柱、堆肥場などはそのままにしておき適宜利用いただくことでことで了解を得ました。ニンニクや玉ねぎ、エンドウの収穫もそれぞれとってもらう人を決めました。
2007.03.18
コメント(4)
いつの間にかすっかり春になりました。我が家の近くでは例年ではまだ咲かない筈の雪柳、つつじ、木蓮、などが花をつけています。
2007.03.10
最近の畑は3月に植えるジャガイモの畝を起こすだけであとは収穫だけです。白菜、壬生菜、ほうれん草、京菜、ダイコンなど連日零下に下がる畑でけなげに生きています。ソラマメやエンドウ、ねぎ(秋蒔)、ニンニク、イチゴなども今はもっぱら雌伏のときです。
2007.02.12
この椿は花が中々良いので岡山の庭にあったのを東京まで持ってきたものです。例年3月になると花を開いたのですが今年はもう花をつけました。
2007.02.11