1993年平成5年7月の夜間 ほぼ寝たきりの高齢者の病室で付き添いの業務をしていた時に北海道南西沖地震がありました。
昔は介護福祉士などの専門の人がおらず、入院中の方が直接雇う感じでした。
昼には4人の付き添いさんで2つの病室を見ており、夜間は1人でその病室の床に布団を敷いて仮眠をしながら見ていました。
私はちょうどその日、泊りの当番に当たっていました。
その夜も時間で体位交換やおむつ交換等を行い、仮眠を取ろうと横になっていました。
奥尻島では震度6だったようで、私が働いている地区も結構揺れました。
寝たきりの高齢者さんたちはほぼ話はいつもできないのですが、その時は「長いぞ長いぞ」と1人の高齢者の男性が小さい声で話されました。
また、みなさん様々な点滴が付いており管がそれぞれつながっていたので、大きな揺れのせいで点滴の袋が右に左に動いて押さえるのが大変でした。
高齢者8人を見ていたわけですが、これ避難するときどうするんだろうと。
暗い病室の中でポツンと立ちながら、会話する相手もおらず頭の中では患者さんを背負えるだろうかなどとグルグルと想像を巡らせて過ごす夜でした。
看護師さんたちも少ない人数であちこち状態を確認したり落ち着かない日になりました。
その後は余震も特に無く無事に過ごせたのでよかったですが、あの夜は心配で眠れずにウロウロしてしまいました。患者さんたちはすぐにまた寝ていましたので安心しました。
若い頃の出来事だったのですが、すごくよく覚えています。
地震は怖くなかったですが、点滴があんなにブンブン振れるのがとても怖かったです。