2011年3月11日に東日本大震災がありました。
その時は精神病院でカラオケ大会の代表を選出するというレクレーションをしていました。
今までにない大きな揺れを感じ、病院の3階にいましたが窓もガタガタ大きな音が出るほどで、患者さんもしゃがんだりして揺れがおさまるのを待ちました。
その後も余震は少しありましたが、落ち着こうと努力していました。
報道で宮城県北部の栗原市で最大震度7の揺れがあったことを知りました。
津波の高さは、福島県相馬では9.3m 以上、岩手県宮古で8.5m 以上、大船渡で8.0m以上、宮城県石巻市鮎川で7.6m以上あったと知りました。
気になるため患者さんたちはテレビで何度も津波の映像や被災した場所の映像を見てしまい、不安に襲われ落ち着かなくなる方も多数いました。なるべくテレビは被災映像ではないものを選ぶようにしていましたが、不安はしばらく続きました。
1人暮らしをしている患者さんたちは気になってどうしても見てしまう、不安になる 恐怖感がぬぐえないという訴えしてくる人も多くいました。
自分の母親が宮城県にいるがどうしているのか連絡が取れないという1人暮らしの患者さんがいました。
安否がわからず不安になり何度も連絡をとろうと電話し続け、それでも電話がつながらないと頭の中が悪い方に支配されてしまった様子でした。
翌日その方はカッターで自身の体に傷をつけ亡くなってしまいました。
母親は避難できており連絡はのちにとれるようになっていたそうです。
私たちもできることは配慮してきたつもりでしたが、一番不安に思っていることをすぐに取り除くことができずに本当に残念なことが起きてしまいました。
災害時の心のケアは本当に難しいものでありますが、繰り返してはいけないと深く感じています。
普段からもコミュニケーションをより取るために、安心感を持てる生活を作るためには何ができただろうと考えさせられる一件になりました。