東日本大震災の時には福島からの避難者の支援に関わったこともありました。
避難者からの相談に対応する拠点の開設と運営、専門機関の紹介などチームを作り週に1度ミーティングを行い「この家族が求めている家財道具をどうするか」「このような不便な点がある」「新しく入ってきたいという希望者がこのような方でどのチームが担当するか」など話し合いをしてきました。
多くの人が県外に避難を選択せざるを得ない環境であったこともとても理解できました。
残してきた物や人に対して常に後ろ髪を引かれていたように思えました。
新しい環境で不安もたくさん抱えて過ごすことがあったり、手続きなどに追われたり、将来どうなっていくのかという先の見えない中での生活になりました。
住む場所も市営住宅や空きのある建物を提供され、生活に必要なものも無い中で不安を抱えていました。
病気の人や病院に通院していた方たちも中には多くいました。
薬も足りなくなるかもしれない、病気が悪化するかもしれないという心配もありましたし、合う病院かどうかという不安も抱えていらっしゃいました。
お子さんと避難した方は学校の手続き、ご自分の仕事探しなど全く今までと違う生活を考えなくてはいけない状況になりました。
様々な不安を少しずつでも解決し、安心した生活を取り戻すことができるよう支援をすることは誰も経験をしてこない中で手探りで行うことが多かったと思います。
全国で様々な取り組みが行われたと思います。
私は4人のチームで入居後の戸別訪問で足りていないものや困ったことなどの聞き取りやこの地域のお店や活用できる社会資源などお伝えするなどの活動に参加しました。
支援活動をする人もボランティアだったので自分の仕事を持ちながらの参加でした。
本当に熱心で心の熱い支援者が多く、それでも冷静に一番良い選択ができるようにと温かい気持ちの方が参加していたように感じました。
私はその時に社会福祉士会の理事をしていましたので、社会福祉士会の報告会でその様子などを紹介しお伝えできたかと思います。
最近も地震大国の日本であちこち大きな揺れがあったりしていますが、本当にお互いが協力しあいながら乗り越えていけたらと思います。
自分の生活してきた場所を余儀なく奪われ、離れなくてはならないという痛みや大切な思い出のつまった環境が無くなってしまうことの虚無感など支援していく中で本当に考えさせられた期間でした。
私の知り合いにも重機の免許を取り、被災地に出向くボランティアをしている方がいますが、いつも迅速で冷静です。
職場にも都合をつけてもらったりして少し休みをもらったり他県のボランティア団体とすぐに連絡を取り募集時期はいつくらいから開始されそうかなど熱いです。
その熱量にはいつも心を動かされます。
私も何かできるかなと考えさせられる貴重な存在でありがたく思っています。