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とらのこどもの社会人デビューは京都だった。
えらいもので、今なお京都なまりが残っているらしく、関西弁の聞き分けのできる人で あれば、「あれっ、大阪やなしに京都の方とちがいますか?」と言われたりする。 さて、この木曜日にお客様と一緒に京都へ行ってきた。 嵐山へ行き、仏野(あだしの)の寺々を巡る。うっそうとした竹林のなかをさ迷い歩く。 梅雨の晴れ間で、蒸し暑いけれども、風がそよいで流れる。散策の汗が、また心地よい。 嵐山の次は金閣寺。ホテルにチェックイン後、御池から加茂川をたどり、先斗町へ出る。 先斗町の店先には明かりがともり、足元はきれいに水打ちされている。 昔ながらの控えめな看板だけの店もあれば、ぎらぎらした看板が輝く店もあって、 次代の流れを感じる。BARのマスターに聞いたら、木屋町にあった小学校が無くなって 街の様子が変わってしまったらしい。 観光客の求める京都風情というものは、こうしたピンク色ではないと思うけれども、 お金の理論というのは、遠慮容赦が無い。韓国からのお客さんが行きたそうな素振りを 少しだけしていたが、、、さて、どうだったろうか。 行けば、横に座るだけの女性に腹を立てたのではないのかな? ホスピタリティと、芸の道があれば、国境はないと思う。ああした店には期待できない。 それで木屋町の古い木造のBARに行った。 雰囲気のよい音楽が流れ、お店にはオードリーのポスターが何枚も張ってあった。 アベックやら、友だち同士、一人のお客さん。タバコの煙のなか、お客さんが犇いている。 途中省略。 「ごめんなさい。今日はどうしても帰らなあかんねん。次、京都来たら連絡してね。」 彼女はそう言って帰っていった。楽しかった、、京都の夜は、思い出だけに滲み更けてく。 そういえば、、、 20数年前も、「今日は焼き物の火入れやから、どうしても行かなあかんねん。ごめんね。」 と言って帰っていった女性がいたけれど、これを京都らしいと思うのは、僕だけだろうか? (・・・次、なんてないくせに。) ひとり、夜更けに残され、街をさまよう。 あんなに輝いて見えた街の色は、やがてセピア色になり、思い出の海に沈んで消えた。 京都のひとは、あやしくて、なまめかしいけれども、 手を伸ばせば届きそうで、あと数センチがほんとに遠い。そんな気がする。 記:とらのこども PS 「わかりました。ほんなら考えときます。」 このセリフ。あたくの商品は要りません、という意味なのだが、東京人には難しいらしい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007.07.08 12:12:56
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