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美形には相対的な美形と、絶対的美形があるような気がする。
相対的なというのは、時代の背景と求められる雰囲気を言い、 人種の違い、宗教観の違い、他の美形との違いを含めた要求の総体を指す。 対して、絶対的美形というのは、人間の脳の認識によるのではないか? つまり、人間の顔の認識システムからくる美形を指す。 人間の顔の認識システムとは、脳の認識&識別方法であって、 それは比較認識なのではないか、、、と考えるものである。 テレビで美人顔のコンピュータグラフィックをやっていた番組があって、 そのなかで、美人顔とは20代女性の100人よりも、1000人、1000人よりも 1万人の顔の平均値であった。感想は、正直びっくりだった。 なぜなら、美人とは特別なものと思っていたのに、平均値だなんて。 それで得心したのが、個々人の脳の認識している標準モデルが「美形モデル」だろうと。 それで、その「美形モデル」からの差異認識によって、個人の顔の認識をするのだ。 「美形モデル」こそが、絶対的美形なのだ。 「美形モデル」と書いたが、機能的表現としては「比較対象平均顔モデル」でしかない。 であればこそ、美形は特別ではないから儚さを感じる。 万人の”美人になりたい”と願う気持ちは、素直に理解できる。私もそうだから。 しかしながら、美人には何の価値もない。 それよりも、自分モデルの自分のなり得る最高の自分を見出すのが、素敵だろう。 素敵な汗をかきたいし、 素敵な人と、素敵な時間を過ごしたい。 そのためには、良人に素敵になってもらうことが、最重要だと確信するけれども、 その手助けを、心を砕いて、時間を割いて、やっている人はどれくらいいるだろうか。 結局は、女が世界を作るのだ。 今の世の中は、今の女たちの心の鏡だと思う。 男は所詮、ピエロだ。友人と話していて、そう思う瞬間が、ときにある。 ただし、ピエロにも夢がある。ピエロだからこそ、と言ったほうが良い。 働いて、働いて、働いて、 いつか、南の島のピエロの楽園に行くのだ。 ところで、あなたは本当に美形に「没個性」以上の意味があると思いますか? 記:とらのこども お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007.07.26 00:58:11
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