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誰がために鐘がなるのか?
ヘミングウェイの『誰がために鐘は鳴る』の解説に、 訳者の大久保康雄さんが次のように書いておられます。 「ヘミングウェイは、人間は結局孤独のまま世界がおのれに課する運命に耐えなければ ならないのだという彼の根本的なイデーを変更することなく、そのなかに他の人間的、 積極的な感情-恋愛を、同士愛を、そして世界全体への献身を、この作品で築きあげた のである」 「ゆえに問うなかれ、誰がために鐘がなるやと、そは汝がために鳴るなれば」 ジョン・ダン いつだかある先輩がこう言っていた。 会社員たるもの、「忙しい、忙しい。ほんと毎日、大変だ。」と言わねばならぬ。 一生懸命に、仕事をしているふりをしなくなっちゃあオシマイダ、と。 かくいう私も友人、知人に、誰のためにネクタイをするのか?と時々聞く。 毎日の習慣でネクタイをしている、毎日の習慣でスーツを着ているだけでしょ、と。 もし、目だけ出ている三角頭巾の黒尽くめマントを、全員着ないといけなかったら、 異様だと思うでしょ? と聞く。 「そりゃそうだ。」と誰しも回答がある。 それじゃあ、全員がスーツ着て、ネクタイしてるのも、 すっごいおかしいことだと思うよ。というと、これは解らないらしい。 誰がためにスーツを着るのか、ネクタイを締めるのか。 その答えを知っているのは、 「今日は早く帰ってきなさいよ。昨日も馬鹿みたいに遅かったんだから、、。」 と言っていた、あの女性(ひと)だけかも知れない。 本人はちゃんとわかってない、それが普通なのかもね。 記:とらのこども お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007.08.02 19:20:16
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