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「なにゆえに 砕きし身ぞと 人問わば それと答えむ 大和魂」
谷川士清(たにがわことすが)1709~1776 三重県津市 以上の歌は、特攻隊の方の歌ではない。以下を参照ください。 谷川士清は、終生、町医者の傍ら、国学者として研究を続け、 「日本書紀通証(つうしょう)」、「勾玉考(まがたまこう)」などを著した。 中でも、亡くなる直前まで編集を手がけた「和訓栞(わくんのしおり)は、 その後の辞書に大きな影響を与えた。 約2万1千語を収めたこの辞書は、日本で初めて50音順に整理された。 偉業ではあるが、さらに驚くのは、全93巻の出版が成ったのが、没後111年を経た 明治20年(1887年)だったということだ。 日の目を見ないまま埋もれかねないところを、 子や孫が資金難にもかかわらず、旧宅を手放すなどしながら出版に漕ぎ付けた。 歌には、栄達を求めず愚直に研究に没頭した谷川士清の心情が詠み込まれている。 遺族も、遺志を受け継いだ。 その業績はわたしたちの財産として、もっと称えられてよい。 以上、8月18日毎日新聞夕刊中部版より。 仕事を通じて、また自分のできることを通じて、何かを遺したいものだと、 強く思うようになってきた。見習いたい大先達はたくさんいる。 きっと自分にも何か遺せるものがきっとあると思いたい。 記:とらのこども お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007.08.18 22:22:51
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