カテゴリ:カテゴリ未分類
知と情。知能と感情。そうした人間の感情を考えたときに、
どうしても感情のほうが、理知よりは本質的、根源的、創造的、クリエーティブなものだ。 また本能的に、情というものは男性よりも女性が豊かに具えている。 理知よりもずっと、、、。 末梢的な情。これは男が非常に鋭敏ともいえるけれども、 優情というような、床しい情というものになると、これは女性が本具している。 本能的に持って生まれておる。 知というものにおいてもそうであって、男は理知に長け、論理的な知識に長けるが、 女性は直感に富んでいる。 だから、女性の女らしさというものは、 直感、優しい情、無欲、そういうところにあるわけだ。 老子に「玄牝(げんぴん)、嬰児(えいじ)の徳」とあり、 玄妙なる女性という存在、「常に静を以って、牡に勝る」と大いに称えている。 たとえば最も感覚的、肉体的な点でいえば、痛覚。 これは女性が恵まれていて、痛覚は男性よりもずっとずっと少なくなっている由。 男だけの痛覚があったなら女は子どもは産めないことになる。 だから多少たたかれても「痛い!」っていうのは大仰なことで、 本当は男ほどではないらしい。これはみな、陰の徳だ。 それだけに女の教育というものは、このせっかくの美しい本質を損なわないように 育てなくてはならない。それを誤ると、女性は男よりも自然に近い、本源的存在だから、 容易に動物的になる。 動物的になると他の動物よりも悪い。だから欲望でも女のほうが多欲になる。 理屈でも女のほうが屁理屈が上手になる。感情は激情的になる。 だから、一旦、女性が動物的になると残忍、それから理屈っぽくなり、 エキセントリックになる。生半可なことでは手に負えなくなる。 ところが、武士道というものは武士の妻子を最も道徳的に教育したシステムでもあった。 厳しい道徳教育と、歌舞音曲といったものを通じて、女性の床しさを教えた。 武士が、男が堕落していっても、だらしなくなっても、 武士の娘、妻たちがしっかり支えて、徳川300年をもたせたという。 今なお道徳的な女性は、日本の主流であろうと思う。 精神的な内面生活、統一原理、これは静を以ってあらわす。 「常に静を以って、牡に勝る」これは女性の存在すべてを指している。 人間の知と言う面において、 人を知るものは智なり。自ら知る者は明なり。人に勝つ者は力なり。 そして、自ら勝つ者は強なり。これが大事だ。 人を知り、自分を知る。つまり智、明。 そうして自分の煩瑣・煩悩に、欲望に打ち克つ。これが本当の強。この智、明、強が大事。 それにはいろいろの問題についての形式的、表面的、作為的なことより、 「無為のこと、不言の教え、不争、争わざるの徳」こうした根源的な道徳の根本が大事。 そういうものの象徴が、「女性・玄牝(げんぴん)」「嬰児」であると説く。 だから、「嬰児」をどのように育てるのか、教えるのか。これが最重要であるという。 これが老子の説く徳義の一である。 以上、安岡正篤先生の十八史略より。老子の項を抜粋。 女性はすごい。勝てないと思う。 それは、こういった本源的な部分だったろうと、改めて思ったことである。 記:とらのこども お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007.10.03 22:40:25
|
|