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今と言う時代はどんな時代なのか。
中にいるとわからないんではないか。ものすごい時代なんではないのか。 何が違うのか、何がものすごいのだろうか、という一考察。 まず、こうして考えたことをそのまま発表でき、それを見ることができることはすごい。 深く、深く思考した結果、何かを発見し、発明することができる存在が人間だったとして、 それを伝えるための労力もまた気が遠くなるほどの労力だったはず。 それがあっという間に、世界中に伝播する。 例えば、通信速度が数百倍になったような、クロック周波数が数千倍になったような、 コンピュータを数万台連結したような相乗効果があるに違いない。 そして、時代が早く回転する。 時間というもの自体が早くなってきていると書いてある科学論文を見たことがあるが、 体感的にそれと感じるほど、ものすごい速さだ。加速している。 今後の10年は、今までの100年。 今までの100年は、それまでのミレニアム以上のものがあり、 それまでのミレニアムは、さらにそれ以前の1万年に相当するんじゃないかと思うほど。 きっと壊れてしまう。 そんな予感がする。 身体が、精神が、そのスピードに耐えられないポイントで壊れるんでないだろうか。 今までの価値観や、権威や、評論がどんどん壊れてきている現代。 ある程度の年齢であれば、50年間という時間軸を自分の感覚で意識できるだろう。 その2倍を加えるだけで、明治維新のころになるとすれば、つい昨日のようなものだ。 それを3倍すれば、信長、秀吉の時代となる。それですら一昨日と同じこと。 想像して欲しい。 総理大臣でさえ、天皇陛下でさえ、今の我々はどれほど身近に感じることか。 ひとりひとりが覚醒している今と言う時代。 ひとりひとりが思考する今と言う時代。 ひとりひとりが行動する今と言う時代。 我々はどこに行こうとしているのか。 その怖さをわからないものはクラッシュするだろう。 感じるものだけが自分を守りうる。 行動しなくてはならない。行動するというのは行動しないということを含む。 必要なのことは、守るべきものを守るという行動かもしれない。 守るべきことを守らない人間は、もはや人ではない。 人でない人間を見分け出来るかどうか。 今はそれが最も必要な「最先端技術」であるように思えてならない。 人というものはすごいが、人という存在こそが怖い。 そして救いもまた人のこころのうちにある。 記:とらのこども お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007.10.16 23:18:38
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