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ロドリゲスとらのこども・超克編

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2008.10.04
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「漢城、漢陽そして京城」趙南俊 『月間朝鮮』 理事

 何日か前に、ある日刊新聞がソウルを「京城」と表記することは「日帝の残滓」だと批判したものを読んだ。このような批判が正しいのか間違いなのかを見きわめる前に「ソウル」についての名称を歴史的に考察してみる必要がある。

 統一新羅は全国を九つの州に分けて、ソウル地方を「漢山州」と称した。景徳王の時にソウル付近を「漢陽郡」という呼び方をするものとして、初めて「漢陽」という地名が登場する。高麗朝に入って「楊州」と呼ばれたソウルは、文宗22年(1068年)「南京」に昇格して遷都の対象として選ばれるまでになった。忠烈王の時代である1308年、「漢陽府」という名前を得たソウルは、朝鮮が開国して首都となった1394年「漢城府」と呼ばれるようになる。この名前は1910年、日本が朝鮮を強制的に併呑する時までの500余年間、ソウルの公式名称として使用された。

 1910年10月1日、日帝は朝鮮総督府を開設してソウルの名前を漢城府から「京城府」に変える。解放後、「京城」は「ソウル」に変わり、1948年8月15日に大韓民国が発足した際に公式的に首都として公布された。

 このような経過から、ソウルを「京城」と表記することは「日帝の残滓」という批判が一見妥当性があるように見える。しかし、日本が朝鮮を強制合併した後、「漢城」を格下げするために「京城」という名前を作ったという主張は、事実ではない。京城はすでに数百年前から我々の祖先たちが使用してきたソウルのもう一つの名前であるからである。

 朝鮮朝時代にソウルを意味する言葉として四種類の名称が使われた。漢城、漢陽、京城そしてソウルである。

 「漢城」はソウルの公式名称であった。漢城を管掌する官庁を「漢城府」といい、今のソウル市にあたる。その首長は「判尹」という。

 「漢陽」はソウルの通常名称であった。「お前はどこへ行くのか」と尋ねると「俺は漢陽に行くんだよ」。このような時に使う言葉である。

 「ソウル」は漢陽とその付近を称する非公式的な呼称であった。「このごろソウル近くで泥棒がはびこっているようだが‥‥」このように口語で使われた。

 それでは京城はいつ使われたのか。「京城」は口語として使われる「ソウル」の意味なのである。「ソウル」は漢字で表記できないので、漢字で書く時にだけ使用する文語であった。

 京城という言葉は16~17世紀の史料にも出てくるが、旧韓末の1898年(光武2年)に尹致昊らが創刊した「京城新聞」(後に「大韓皇城新聞」と改称)でも見ることができる。

『月刊朝鮮』記者掲示板 2005年5月13日付/翻訳:辻本武さん
http://www.asahi-net.or.jp/~FV2T-TJMT/





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最終更新日  2008.10.04 18:26:28


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