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「東に美し国あり矛はすて 海に漁り土にいそしむ」
東京・伊賀良一さん 注:東(ひむがし)、美(うま)し、漁(すなど)り 「生けるものみな満ち足りて住むといふ 国を思ひぬ春の日かげに」 茨城・酒井芳水さん 戦後、新憲法施行を記念して全国から公募した「平和百人一首」に選ばれた歌だという。 毎日新聞の余禄に紹介があった。戦後の荒廃から、日本を死に物狂いで再建された 大先達たちの心の詩である。国を思い、国を慈しむこころが満ちている。 http://mainichi.jp/select/opinion/yoroku/news/20080503k0000m070145000c.html この庶民版平和百人一首に画家の稲田善樹さんの絵を添えた「百のうた 千の想い」 (てらいんく)が刊行された。とらのこどものお勧めです。 (参考解説) 小倉百人一首は、天智天皇(7世紀)の「白鳳時代」から鎌倉時代初期まで450年間 の和歌百首を時代順に並べたものである。選者は鎌倉時代初期、新古今時代を代表する 歌人、藤原定家である。 私たちの祖先は、それをカルタ取りというゲームにして、正月の遊びにするという、 きわめて文化度の高い教養を持っていた。百人一首の内容を分析すると、 恋の歌43.四季の歌32.旅の歌4.別れの歌1.その他20である。 宝塚歌劇団員の芸名にも、百人一首ゆかりの名が結構ある。 少し古いが、霧立のぼる「寂連」。天津乙女「遍昭」。有馬稲子「大弍三位」。 淡島千景「源兼昌」など。 ある調査では、百人一首と名乗るものが、650もあるという。 そのひとつに、1950年:有名人の歌でつくった「平和百人一首」というのがある。 また、それとは別に、1947年~8年にかけて、一般庶民の「平和百人一首」という ものが全国から公募された。主催者は不明だが、この庶民の百人一首は、終戦直後の 日本の様子が滲み出ており、心打たれる。 「水ぬるむ信濃の川をよぎる汽車 はなやぐ子らの 声をもりゆく」 「手まりうたのどかに子らと遊びいて 平和の春はありがたきかも」 「みどりよりみど利にくるるわが家は 草ぶきなれどこころ安けし」 「琴たきて雪夜をいねず引きあげし かの日思へばなにたえざらん」 「ゆめにさへ恋ひやまざりし青だたみ ただうれしくて足のばしけ利」 「さきわひはこたつにこそあれ ひとつ灯に 親子五人夕げたのしむ」 「山ずみの夏こそよけれ子とひたる 野風呂あまねく月夜となりぬ」 「春は花 秋はもみぢ葉山川の 美ましき国に事なあらせそ」など。 この百人一首を読んでみると、あの何にも無い時代に、人々はどういうことに 素朴な喜びを感じて生きていたかを、しみじみと知ることができる。 私などは、こたつにみかん、甘栗がいいなあと思うのである。 幸いは、家族とのこたつでの団欒。諸手をあげて賛成!! toranokodomo お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008.10.11 17:07:44
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