テーマ:徒然日記(23503)
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山に行き、林に入る。木々がうっそうと繁っている。
木の向こうに木があり、さらに奥の方に、左右に林が広がっている。 目の前には、木々の壁ができて、林の先のほうは見通すことができない。 ところが、夜の空には星々がまたたいているけれども、星の壁では無い。 全天、星に蔽い尽くされていない。黒い部分がいっぱいある。 即ち、宇宙が有限であることを夜空が教えてくれている。 これから先はなんとなくの感想なのだけれど、 宇宙がひとつだけ、というのはあり得ることだろうか? ひとつあるなら、もうひとつあってもおかしくないような気がするのだ。 50個も、100個も、それこそ無限の宇宙があって良さそうなものだ。 ぶどうの房は、ひとつだけより数十個固まってこそぶどうらしい。 きっと宇宙もそうだろう。 親宇宙があり、子どもの宇宙があり、孫の宇宙もある。 大きい宇宙もあれば、小さくってかわいい宇宙もあるに違いない。 植物人間状態が、人と呼ぶのに残念ながらふさわしくない。 それは、意識の有無だろうと思うのだけれど、 思念というものが、宇宙のどこかからか、 この宇宙の、この太陽系の、この地球の、この日本の、この私に宿った。 この奇跡に感謝したい。 あらゆる存在物を包容する無限の空間と時間の広がりは、 この私の思念のなかにもある。この相対性こそ、思念の故郷を示している。 なんとなく、そんな気がする。 その世界も、きっと黄金比の世界なのかなあと。。。 奇跡に気付く「インプリント」が、人の思念の中にあるのだ。 欲望ばかりの世界にいてはいけない。そうササヤイテイル。 記:とらのこども@休日再掲シリーズ さて、その宇宙。科学的には、有限で丸いブドウの房ひとつのようなもの。 が常識だ。本当にそうなのだろうか? 宇宙って、もしかして、たくさんあるんじゃないの?という考え方もある。 その考え方を、多重宇宙論というらしい。 参考/多元宇宙論:出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9A%E5%85%83%E5%AE%87%E5%AE%99 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008.11.08 23:11:22
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