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作家 林真理子さんのファンで、小説も読むのですが、
いろいろな雑誌に掲載のエッセイがいい。 なんとも、好きな文章なんです。温かく、円くなった。 ファンサイト:http://hayashimariko.web.fc2.com/book/58.html それで、彼女のエッセイ等をスクラップしています。 雑誌、新聞などをビリビリと破って、ノートポケット に入れるだけ。 最近のもので、「小さなけんちゃん」というのがある。 短文なので、ご紹介したいと思います。agora誌より。 けんちゃんがわが家にはじめてやってきたのはたった二歳、お誕生日が 過ぎたときだった。すでに、「お泊り」で馴染んでいる小学生三年生の とも君、五歳のゆうちゃんのお兄ちゃんたちに挟まれてやってきたけん ちゃんの手には、着替えが入った、大きなデパートの紙袋がしっかりと 握られていた。 お兄ちゃんたちにしても、着替え勉強道具入りの紙袋だけど、赤ちゃん を脱したばかりの、背丈だってテーブルの下へすっぽり入りそうに小さ な子が紙袋をぶら提げる姿には、憐憫を覚えないわけにはいかず、袋の 底を引きずりながら部屋に入ってきた。そのいたいけなさ、そのことだ けで私の胸は痛んだ。いまの時代、わが子がお泊りするといったら、 親たちはカバンなりリュックなりを用意してやるだろう。そうしてもら えない事情を、けんちゃんは背負っている。 けんちゃんたちは、児童保護施設で暮らす子どもたちである。 交通事故とかで親を亡くしたとか、親が養育放棄したとか、さまざまな 理由で保護されたのだ。家庭と言う者を知らずに育つので、自分が結婚 して家庭を持った際に途方に暮れて、ギブアップ。 子がさずかっても、育て方がわからず施設に送るというケースもある。 こうした悪循環を防ごう、家庭を学ぶ機会をあたえようという制度が、 私の住む地域での「三日里親」。学校の長期休暇の時期に子どもたちを 二週間ほど、応募の中から認可した里親家庭へ預け、普通の家庭生活の ありようを体験させるのだ。 とも君たちはわが家に来るようになって三年目なので勝手知ったるもの、 私を「おかあさん」とわだかまりなく呼び、台所に立つ私の傍らで魚を 捌くところをじっと見る。彼らは決して部屋中を飛び回ったりしない。 お行儀の良さは、わが息子以上である。小さいけんちゃんはお兄ちゃん たちの後ろにくっついていたが、二日もすれば、私にべったりの腰ぎん ちゃく。近所の八百屋さん、肉屋さんへの買い物も全員がついてきて、 けんちゃんは私に負ぶわれて帰る。 ある夜のことだ。「家族全員一部屋で、いっしょくたに寝よう」という 相談がまとまり、和室に布団を敷き、合宿状態で就寝した。 私の布団にはけんちゃんがいて、眠りにつくかどうかというときだった。 向こう向きに寝るけんちゃんが、どういうことか、小さな手で壁をひっ かいているのだ。「どうしたの」と聞いても返事がない。顔を覗くと 何かを我慢するように口元をぎゅっと結ぶ。 その頬に赤みがさしている。驚いておでこに手を当てると熱い。 急ぎ体温計で熱を測ると三十八度。たいがいの二歳ならぐずるところだが、 けんちゃんは泣きもせず、黙って我慢した。きっと我慢の限界がきたので、 でも私は本当の母ではないと二歳にして承知しているから、壁に助けを 求めたのだ。 応急手当に小児用熱さまし、そして久方ぶりに忘れずに仕舞っておいた氷 まくらを取り出した。少しゴムの臭いのする口に製氷室の氷を入れながら、 私はなんだか無性に悲しくて、涙がこぼれてしかたなかった。 林真理子さんの温かさが、文章からほのかにかおり立つ。 そんな気がします。私も読みつつ、涙がこぼれてしかたが なかった。また彼女のエッセイ集を買いたい、そう思った。 記:とらのこども お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009.01.31 18:10:46
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