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近代史を理解する上で、昭和二十七年四月二十八日の意味が重要だ。
この日は、日本がようやく独立を手にしたサンフランシスコ講和条約発効の日だ。 この日を念頭におくとおかないとでは、昭和二十一年十一月三日に公布され翌二 十二年五月三日に施行された「憲法」の効力を如何に考えるかに天地の差が生ま れる。 即ち、この「憲法」の公布日と施行日は、我が国と連合国は未だ法的に交戦状態 であり第二次世界大戦は終結していない。我が国は連合軍の軍事占領下にあった。 これが、事実である。 私が学生の頃に「権威あるもののように」読まれていた宮沢東京大学教授の書い た「憲法」の教科書(有斐閣)には、ポツダム宣言受諾の昭和二十年八月十五日 に我が国でクーデターが起こり国体が変革されたのだと書いてあった(八月十五 日クーデター説)。 しかし、これを書いた者は、自らの眼を塞いでサンフランシスコ講和条約発効の 日の意味を知ろうとしなかったのだ。そして、弟子にも学生にも眼を塞ぐことを 教科書によって強要した。 (指導教授が教科書に書いていることを馬鹿呼ばわりすれば、学生や院生は単位 も学位ももらえない。従って、これは明確に「強要」である。) これに対し、四月二十八日の意味を知っているならば、小学生でもこの東京大学 教授にこう言える。 「馬鹿、アホ、昭和二十年八月十五日から始まったのはクーデターではない、 連合軍の日本軍事占領だ。昭和二十七年四月二十八日までは、まだ我が国と 連合国は交戦状態ではないか。目を開いて事実を見ろ!」と。 現憲法は、評価はともかく、占領中の<押し付け>であることは、 はっきりしている。 (以下、ネットより引用) マッカーサーは就任早々の幣原首相に対して憲法改正に着手するよう 示唆している。他に東久邇宮内閣の国務大臣近衛文麿公爵に対しても 開明的な憲法草案作成を指示したようである。この内閣の下で平行し 「五大改革要求」が為された。「五大改革」とは、1.参政権の賦与によ る婦人の解放、2.労働組合の組織奨励、労働者の団結権の保障、 3.圧制的司法制度の廃止、4.教育の自由主義化、5.経済の民主 化、独占産業支配の是正であった。 この時衆議院議員の選挙法改正に着手している。婦人参政権賦与、選 挙年齢の引き下げ、大選挙区制の2名連記制、3名連記制採用を骨子 とする改正案が纏められ、11.27日開かれた第89臨時帝国議会 で、選挙法改正案が制定され、12.17日公布された。これにより、 満20歳以上の男女普通選挙権が認められることになった。 以上、引用終わり> マッカーサーは、天皇象徴制、戦争放棄のほか、国会の一院制、土地 の国有化などが、GHQ草案には含まれていた。 世論調査では、8割以上が憲法改正を容認しているのに、熱気は無い。 時代と憲法は合致するべきだが、やはり憲法誕生のもやもやが引きず ったままになったからだろうと、岩見隆夫は言っている。 以上の出典は、下記文献より。 戦後内閣史:http://www.marino.ne.jp/~rendaico/seito_sengohijyogi.htm 西村真吾の時事通信、岩見隆夫の近聞達見5月2日より引用、転載。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009.05.09 07:16:55
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