カテゴリ:旅行の話し
ご当地シリーズ第4弾は、和歌山県・続編です。
こちらは、ケロケロ66さんがお住まいです!! http://plaza.rakuten.co.jp/kerokero66/ もしも、南の豊穣の大地に、豊かに平和に暮らしていたその場所に、 突然、襲い掛かってきた荒々しい部族がいたとしたら。。。 歴史にifは、無いけれど、 人類の歴史は、豊かな生活を長い長い時間をかけて創りあげてきた部族と、 それを力ずくで奪う部族の興亡史に他ならない。 襲い掛かってきた部族は、それはそれで理由があって、 今までの土地では生きていけないから、移動し、全てを略奪する。 中国大陸は、昔から何十、何百もの、民族、部族、集団による抗争の歴史。 日本列島は、そこから逃れてきた人たちの最後の楽園だった。 現代のアメリカ合衆国のような、他民族による素晴らしい国になった。 和をもって尊しと為す、大いなる和の国。 飛鳥地方の人骨分析から、人口分布は渡来人80%、縄文人は20%だ。 渡来系の諸部族も、古くからやってきて農耕を伝えた中国江南系を主に、 中国の各地方、朝鮮半島からもいくつもの部族がやってきた。 三種の神器ならぬ、十種神宝(とくさのかんだから、じっしゅしんぽう)と いう宝物の言い伝えがある。これは、物部氏の祖神である饒速日命が 伝えたとされる十種の神宝である。 分類すれば、鏡2種、剣1種、玉4種、比礼(女性が、首に掛けて、結ばずに左右 から同じ長さで前に垂らすスカーフ様のもの)3種となる。これを三種の神器に 対応させて、鏡は八咫鏡、剣と比礼は草薙剣、玉は八尺瓊勾玉とする説もある。 私がもし、一族を引き連れて東の海の果てにあるという、 豊かな平和な島へと移住するならば、全ての財産は無理だけど、大切な宝物を 持っていくだろう。その宝物を子々孫々伝えるだろうと思うのだ。 かくして、宝物を奉じた種々の部族が北の海岸から、南の海岸から、四方八方 から、この日本にやってきたのだ。 紀州、熊野に縁の深い古代の豪族は前述の物部氏である。熊野三山の熊野別当も、 熊野国造(くまののくにのみやつこ)も、紀州も、河内も、同祖の子孫である。 物部氏の祖先、ニギハヤヒノミコトは、日本神話に登場する神様ですが、 いったいどこからやってきて、何をしたのだろう。 物部氏の祀った石神(いそのかみ)神社は、古代・伊勢神宮と並ぶ神宮格だった。 日本には、神宮格は当時、二つだけ。熱田神宮はその後にことだ。 きっと、南の豊穣の大地に、平和に暮らしていたその地から、黒潮にのって、 紀州にやってきて、紀州から伊勢、尾張へと、紀州から山のなかを侵出して 奈良・飛鳥、河内へ至り、また紀ノ川を経て、飛鳥へと合流したに違いない。 和歌山、紀州、熊野の地は、古代の大和王権のまほろばだった。 私は、そう思っています。 故に、紀州美人は女神に見えます♪♪ 記:とらのこども ↓↓↓ 応援してくださるとうれしいです! にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009.06.24 20:08:44
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