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人類共通の記憶として、広島、長崎の原子爆弾投下ほど、
強烈で、邪悪な記憶はないのではないだろうか。 大きな被害をこうむった日本だけでなく、 それを遂行したアメリカという国家、人民への限りない 内面的な波紋、心の奥底に浸透していく罪悪感。 その波紋は、ゆっくりと、世界中へ広がって今にいたる。 いや、未だその人類の犯した原罪の浸透は、 今なお速度を増しつつ、毒を増しつつ、侵しているのだ。 もし、私の先祖がその行為を犯していたとすれば、 私はその正当性を、繰り返し、自分に言い聞かすだろう。 そして、「心の奥底の犯罪性」を深層心理に刻み、 代償行為としての何かを、為さねばならぬと思うだろう。 贖罪行為として、それを為さなければ、 ただの犯罪者の子孫として、また同じ犯罪者になるだけ。 私にはそう思えてならない。 白人たちは、いったいどのように感じているのか、 いつの日か、聞いてみたい。 記:とらのこども 大きな費用と労力をかけて、共産主義者たちと対決した 米国は、正義の闘いとの使命感に燃えていたと思う。 世界の警察として、正義のために戦うのだという姿勢は 日本への贖罪意識のなせる部分が少なくなかったのでは ないだろうか。 しかし、時は流れた。。。 新たな世代の新たな挑戦により、新たな時代を拓かねば ならない。何でも過去のせいにするのは卑怯だろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009.08.08 11:05:50
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