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鎌倉時代初期の禅僧で、曹洞宗の開祖として名高い道元禅師が
「応無所住而生其心」 を詠ずと題して、 「 水鳥の行くも帰るも跡たえて されども路はわすれざりけり 」 と詠まれています。 この歌の上の句は、とらわれない、執着しない、思いめぐらすことを捨てた 状態を詠み、下の句は、まさに住する所無くしての行というものは仏が仏の 行をするということになるでしょう。 水鳥はあちらへゆくかと思えばこちらの方へと自然に泳いでいる。 その跡形は無いけれども、水鳥は警戒も怠らず本分を忘れず泳いでいる。 つまり、求道の人生には卒行や終点はないのです。毎日を本分として終点と して救われていく。終点の無いところに、いつも終点がもてる境地です。 夢中の中に夢を得ていく。 若い時には若いときのように、年をとったら年をとったように、それぞれの 時を、そのまま素直に受けたらいい、とも解釈できるのではないでしょうか。 以上は、「本来無一物」からご紹介しました。 http://www3.ic-net.or.jp/~yaguchi/houwa/muitimotu.htm (お題の解説です) 「応無所住而生其心」とは、「まさに住する所無くして而(しか)も其の心を 生ずべし」と読みます。つまり、「こころにとらわれなければ、いつでもどこ でも安心立命をあらわすことができる」という意味になります。 思い悩まず、毎日を精進する境地に入りたいと思うのですが、 なかなかその境遇に達しません。煩悩の大海に溺れる私です。 今の場所でいいのかと、自問自答してしまうのです。 道は自ら拓くものでしょう。第一歩が難しい。 そして今日もただよっています。 記:とらのこども お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009.09.01 19:33:17
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