テーマ:徒然日記(23509)
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平清盛は、子供のころ夜泣きがひどかったらしい。
父忠盛は白河院より、こんな歌を頂戴する。 「夜泣すとただもりたてよ末の世に きよくさかふることもこそあれ」 (夜泣きしても、忠盛よ、ひたすら盛り立てて 育てておくれ。後年、きっと清く盛えることもあろう) この白河院の歌より、清盛の名がついた。 (平家物語 巻第六) 研究者によれば、清盛は院の寵姫だった祇園女御が妊娠、 褒美として平忠盛に下げ渡されてできた子で、実父は院 という説がある。研究者の説明には、下げ渡されたのは 祇園女御の妹説もあり、他の人妻という説もあるけれど、 院のご落胤説はかなり有力だそうです。 以上は、夜泣き伝説は親へのエール。 産経新聞 古典にポツ:大塚ひかりさんエッセイ 8世紀末、朝廷の持つ全国の兵力は、わずか3千人。 とうてい、日本全土を治めることあたわず、盗賊が跋扈。 これを鎮めたのは、経済力と武力を併せ持つ新興武士達。 その棟梁が平家と源氏なのはご存知のとおり。 清盛は、武家の棟梁として全国の警察権を握るとともに、 太政大臣となり、今までの体制を変えなかった。 つまり、荘園を公認。今まで荘園化を押さえようとした 朝廷の方針を大変換したのだ。 そして地頭を押さえて、全国の荘園取締りの実権を直接 掌握。その実益を自ら収納する方法を取った。 とうとう、これで公地公民制度は終焉を迎えた。 日本の荘園は、まず天皇家、そして有力公家、寺社仏閣 が独占していたのだから、得をしたのは彼ら。 ただし、荘園の独占化をはかった平家は、今までの荘園 領主から平家に荘園を取り上げて、平家のものとした。 頼朝は、平家を西に追い落とすと共に、 それらの荘園を、すべて旧来の持ち主へ返還した。 源氏対平家の戦いは、これで勝負あったのだった。 世がこぞって、源氏の味方になった。 記:とらのこども お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011.06.21 21:07:13
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