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仏教で言う慈悲の「悲」とは、サンスクリット語で「カルナー」と言い、
ため息、うめき声のことです。 他人の痛みが自分の痛みのように感じられるのに、その人の痛みを 自分の力でどうしても癒すことができない、代わることができない。 そのことが辛くて、思わず身体の奥底から「ああっ。。。」という 呻き(うめき)を発する。その呻き声が「カルナー」です。 中国人は、それを「悲」と訳したんですね。 遠藤周作さんは、こう言っています。 「病気の人、悩みを持っている人の心の痛みや苦しみは、 それは他人に伝わらない。そして、この痛みは自分だけが感じて いるんだと思ったとき、二倍も三倍にも大きくなっていくのだ」 孤立した悲しみや苦痛を激励で癒すことはできません。 そういうときにどうすればいいのか。。。 そばに行って、無言でいるだけでいいんじゃないでしょうか。 その人の手に、手のひらを重ねて涙をこぼす。 深いため息も、呻き声も、熱伝導の法則のように、 手の温もりとともに、閉ざされた悲しさや痛みが伝わっていく。 それしかできないし、それだけでいい。 いつかどうしようもなく悲しくなった時、もしそうしてくれる 人がいたならば、僕はしがみついて泣くだろうと思う。 今のこんな世の中だから、そういう宗教の復活に期待している とらのこどもです。 記:とらのこども(mixiから転載) 誰かのために泣く。泣き続ける。 そういう気持ちのちゃんとある世界が、 美しい世界のような気がするのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011.07.17 17:45:19
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