テーマ:徒然日記(23494)
カテゴリ:詩歌のようなもの
山の紅葉も盛りの頃を過ぎて、ようよう山も静かになる。
寺や神社、京都なら嵐山からあだし野辺りもそう。 そうした頃になると、 「どこへ出かけていっても、寂しい感じがする。。。」 などと、つぶやく御仁もいるのでしょう。 何をわざわざ、さみしい時期に、、、と素直に思います。 とはいえど、それはそれ。 そうした時期にこそ、心の奥底にぞ、映る何かを感じに 山や川などを眺めているのかもしれず。 さびれた映画館という言葉があるけれど、 暗い映画もあるし、怖い映画もある。古い映画や人気の ない映画もあるけれど、そんなのさみしくない。 当たり前だけれども、映画の上映されない映画館こそが もっともさみしい。はっきり、廃墟だろう。 人の深さや、情感というものもまた、 いろいろな経験が、楽しかったことが、うれしかったり、 泣いたり、笑ったり、苦労したことだったり、 苦しんでやっと成し遂げたこととか、 走馬灯のように、思い出劇場のめくりめくシーンがある。 秋の愁いは、人恋しさの きゅんきゅんと鳴る、求める気持ちの裏返し。 もし思い出のあるならば、寂しからず。 もし思いでのあるならば、それは自分だけの映画シーン。 秋の終り、冬のはじまりは、 そんな季節なのかもしれませんねえ。 冬眠のまえ、無意識に夢のチョイスをするのかも。 ながい、ながい、冬の記憶があるから。。。 秋愁(こころを鳴らすもの)は、真の宝物。 それはわたしだけのもの。 そして、あなたにもそうであって欲しいなと思う。 紅葉の最後の赤に、面影を重ねる。。。 記:とらのこども とはいえど、ことばはなべて 届かざりき 追憶に揺れ やがて沈みき あだし野に すわるほとけの 夢千里 えにしありけむ 中の島橋 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011.12.01 20:44:27
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