体験学習の落し穴
体験学習の話が出たので,今回は独断と偏見に満ちみちた「私の教育論」を書いてみます.ご賛同いただける人は少ないと思います.この教育論に賛成できないからといって,「高知に自然史博物館」にも反対だ,などと言わないでくださいね. 最近は体験学習が流行りです.博物館も大学もNPOも,みんなやってる体験学習,というわけで,ある日のことネコが何かやっているので,何をしているのか訊ねたところ「私は体験学習してるのよ」てなもんです.またある日のこと今度は杓子(しゃくし)が何かやっているので・・・ とにかく,まあ猫も杓子も体験学習の時代なわけです.ふつう学校では教わらないようなことを,それぞれの道の達人が指導してくれて体験させてくれる.それに学校の授業より余程おもしろい.「勉強」って実はこれほど楽しいものなんですね. 体験学習は,ローカルニュースでもよく報道されます.「遊びながら勉強できるところが良い」などと報道されたりします.私は偏屈なので,こういう言い方にはカチンときます.勉強というのは本来面白いものなのです.だからムキになってガムシャラにやって欲しい.遊びながらやるなんて勿体ないと思います. スポーツ選手になぞらえればわかります.好きだから,楽しいからやっている事であっても,遊びながらやっている訳ではありません.真剣に好きで,真剣に楽しんで,真剣に没頭しています.「遊びながらスポーツをやっている」などという言い方は,ポジティブな評価とは言えないでしょう. 話はさらに脱線します.学校の勉強が面白くないのは「強制」されて「評価」されるから.つまり「強制」と「評価」によって生徒を支配したい学校や教育委員会が悪いのです.さらに煎じ詰めれば「強制」や「評価」によって学校を支配したい文部科学省と,入試という制度を手放せない大学が悪い. 手を触れたものが何でも黄金に変ってしまう人の話(童話だか民話だか)がありましたが,文部科学省が手を触れたものは何もかも鉛に変ってしまいます.だから教科書に載ってない事項は面白い.教科書に載るようになると,あれほど燦然と輝いていたテーマが鉛色にしか見えなくなります.語学教育だってそうです.今も英語が苦手な日本人が多いのは,要するに文部科学省が「強制」と「評価」で締め付けてきたからです.このことをまず反省しないといけないのに,何でもかでも教師や親のせいにして「教育再生」だとか何だとか言っている.最初のボタンをかけ違えた会議を百万回開いても何も見えて来ません. さて体験学習です.博物館の価値をとにかく訴えたい私としては,体験学習の有効性を大いに宣伝したいところです.が,じつは体験学習について,私は少し異議があります.教育というのは何でもかでも見せてやる,体験させてやる,というものではないと考えるからです.見せないこと,体験させないことが,じつは真の教育である場合だってあると思うからです. 例外もあるかもしれませんが,一般に記憶力は初体験のときが最大です.在原業平を「なりわらのありひら」と読んでいる人がいました.あれっ?「ありわらのなりひら」だったかな?などと言っている.うっかり最初に憶え間違いをすると,そのツケは一生ついてまわります.最初にきっちり憶える,ということを大切にせねばなりません. 小学校の先生が理解不十分のまま子供に教えると,理解不十分が子供に伝わります.初体験のとき理解不十分だった事項は,あとで修正するのは非常に難しいものです.だから体験学習では,これは生徒にとって初体験なのだということを肝に命じておかねばなりません.初体験のとき間違いを教えたり要点をボカした教え方をすると,子供は一生そのツケを払い続けることになるでしょう. 記憶力だけではありません.一般に,感動も初体験のときが最大です.そして感動はモチベーションを与えます.それが「学ぶ」意欲の源泉です.子供の時に何でもかでも初体験を済ませてしまうと,無感動な人になってしまいます.「ああ,それはネ,こういうものなんだよ」という耳年増のような子供を量産することになります.何でも一応知っているけれど,創造性に乏しい人間を造ることになります. 何でもかでも早くから体験させよう,教えようというのが最近の風潮です.早くから体験させることが子供の(または学生の)好奇心をかきたてて勉学へのモチベーションを持たせることになる,と人は言いますが,私はそれはウソだと思います. 初体験は教育の絶好のチャンスです.たった1度のチャンスです.だから教育についてしっかり考えるならば,このチャンスを児童・生徒・学生の発育上/学習過程上のどの時点に設定するかは,非常に重要な問題です.何でも体験させれば良いというものではなく,時には「教えない」「体験させない」という「教育」も必要でしょう. 自然史博物館の必要性を説くべきブログでこんなことを書いたらマズかったのかもしれません.しかし,それでも最近の風潮には少し歯止めが必要だ.そういう気持ちで書きました.次回からは博物館の話に戻します.