赤の女王(3)
いよいよ「赤の女王」最終回です.元の文章は昨年10月,ブログ「へなちょこ自然保護」に掲載しました.受精卵の凍結保存や,動植物園での保護繁殖だけでは,その生物を保護したことにならない,という主張の一環として書かれたものです.(以下転載) ・・・女王さまは言いました.「よいか,ここでは,おなじ場所にとどまっておりたければ,力のかぎり走らねばならんのじゃ」. (キャロル著,脇明子訳「鏡の国のアリス」岩波少年文庫) 前回お話しした病原体も含め,生物は他のさまざまな生物とともに生きています.こういう生物的環境は時々刻々と変化するので,生物は無性生殖で自分のコピーさえ作っておけば良いというわけにいきません.有性生殖を行なって,「全速力で進化し続ける」ことが常に要求されています.それはルイス・キャロルが「鏡の国のアリス」で描いた「赤の女王」の国とどこか似ています. 「この世にセックスが存在するのは,生物が病原体と闘わねばならないからだ」と主張する学説が,「赤の女王」説と呼ばれるのは,そういう理由からです. 生物は「赤の女王」の世界に生きている.そういう見方を採用するならば,飼育栽培や凍結によって保存された生物と,野生生物との違いについても,今までと少し違った考え方ができるのでないでしょうか. めまぐるしく変化する環境の中で常に変化を求められ,それに対応するため一定の多様性を保持しつつ,変化し続けているのが野生生物.これに対し飼育栽培された生物は,野生から切り離された時点で時間が止まっています. 自然は人が認識しているよりずっと多様です.そしてリアルタイムで変化し続けています.野生生物は,そういう自然の一員です.それを自然から切り離して飼育栽培し,絶滅を免れさせただけで良しとするのは,とんでもない思い違いです. もう1度書きます.動物園や植物園は,その生物が野外で生きていける環境が整ってないため必要な緊急避難場所,つまり「ノアの方舟」のような存在でしかありません.飼育栽培は自然保護の補助的手段であり,それを自己目的化してはいけないということです.