「死物学」の効用
形態学や分類学といった古典的な生物学は評判が悪い.まず古臭いというイメージがある.臭いかどうかは知らないが,古いことは確かである.しかし古いからもう現代では必要ないかというと,それは違う. 形態学や分類学では死体を調べることが多い.「こういうものは生物学ではなく死物学である.生物学は死骸ではなく生きた生物を調べるべきである」.というような意見もあった.カビの生えたような死物学ではなく,生きた物を対象とする分野,たとえば動物行動学や生態学は,なるほど魅力的な分野だった. 死物学でない生物学の時代を先取りした人といえば,かのアンリ・ファーブルがいる.ファーブルの「昆虫記」は日本人なら誰でも知っているだろう.今も子供向け出版物の定番であり,子供の発達レベルに応じた,さまざまな「昆虫記」が出版されている.小学校や子供向け図書館には必ず所蔵されている.書かれている知識は今でも決して古くない.おとなが読んでも十分に楽しめる.母国フランスでよりも日本での認知度が高いというのも愉快である. そのファーブルは昆虫の習性を研究していた.そして嫌いなものが2つあった.1つはダーウィンの進化論だ.おそらく,調べれば調べるほど精巧にできている昆虫の習性が,進化というサイコロを振るような仕組みでできあがったとは,とても信じられなかったのだろう.同じ議論を18世紀のジャン・ジャック・ルソーも(はい,「社会契約論」の,あのルソーです)している(註).20世紀のほとんど終りに至って,サイコロを振るような進化の仕組みがコンピュータでシミュレーションできるようになるまで,同様の進化論批判はずっと続くことになる. (註)ルソーの時代はダーウィンより前だけど,「進化論」は当時からあった.当時の「進化論」とダーウィンの進化論がどう同じか違うかという問題は,ここではパスします. ファーブルの嫌ったもう1つのものが,昆虫採集である.針に刺して並べるといった作業をいくらやっても,昆虫は理解できないと考えていたのだろう.かなり厳しく批判していると言ってよい.これはファーブルの興味の中心が常に,生きた昆虫の行動であったことを考えれば,しごく当然のことかもしれない. それでもファーブルは「死物」学を全否定していた訳ではない.狩りバチは獲物を殺さない.神経節に針を刺して獲物を「麻痺」させるだけだ,という発見は,昆虫やクモを解剖して初めて得られる知見である.また,そもそも自分の調べている昆虫の種名は,死物学である分類学なくして得られる情報ではない.種名の確定をファーブルは.同時代の分類学者に多少とも依存していただろう. ずいぶん以前になるけれど,南仏を旅したとき私はファーブル先生ゆかりの場所を訪問した.そこはセリニアンという村で,ファーブルが晩年を過ごした家がある.ファーブルが「アルマス」(荒れ地)と呼んだ有名な庭のある家だ.現地のボランティアらしい人が管理をしていて,小さな博物館という趣きで来訪者に解説をしてくれた.私が興味をひかれたのは小さな机である.かの偉大な出版物である「昆虫記」は,この小さな机から情報発信されたのだ.この机に向うファーブルを想像して,背筋がざわっとするような感動を覚えた. もう1つ興味を惹かれたものがある.それは,数は多くないけれど,ファーブルが所有していたらしい昆虫標本である.これは意外だった.著書の中であれほど厳しく批判していたにもかかわらず,ファーブル自身じつは昆虫標本を作っていたのかもしれない.そう考えて私は,不思議な安堵感を覚えた.