不妊治療
前回のエントリーで生殖医療のことに触れたけれど,タイミング良く?米国の八つ子の話題が新聞に出ている.以下は2月2日の朝日新聞.(以下引用) 米ロスアンゼルス郊外で1月26日に八つ子を産んだ女性が,すでに6人の子を持つ母親で,14人全員が体外受精による出産だったことが米メディアの報道で明るみに出た.八つ子が生まれるような不妊治療が倫理的に許されるのか,専門家から疑問の声が出始めた.(中略)・・・体外受精の場合,妊娠を確実にするために複数の受精卵を子宮に戻すことがあるが,多胎出産が母体と子どもに及ぼす危険を避けるため,米生殖医学会はその数をできるだけ少なくするようガイドラインで定めている.(中略) ロサンゼルスタイムズのウェブサイトに載った記事には,読者から「6人もいてなぜ不妊治療の必要があったのか」「費用の出どころは」などのコメントが寄せられ,当初の祝福ムードから手のひらを返したように冷ややかな空気が拡がっている.(後略)(引用おわり) つまり整理してみると,8個もの受精卵を子宮に入れるのは危険である,というのが専門家の意見. すでに6人もの子供を持っている人に「不妊治療」が必要なのか,という読者の意見. 「費用の出どころ」については,これしか書いていないので,趣旨がよくわかりません. というわけで今回も,あまり大方の賛同を得られそうにない事を書きます. 日本では少子化が問題になっているけれど,世界的には人口の増加こそが問題である.さまざまな問題が,たとえば自然保護とか地球温暖化の問題にしても,じつは突き詰めれば人口問題に行き着く.地球がパンクしそうになったら宇宙に出て行けば良いとか,人口が増えても食料生産の技術が発達するので大丈夫などの楽観論もあるが,まあ大して当てにできない. とにかく人口問題はずいぶん昔から議論されている訳だけれど,もう問題ではなくなったとか,解決の見通しがついたとかいう話を聞かない.人類全体のことを考えるというような大ブロシキを拡げるよりも,国の,町の,自治体の,家族の,繁栄のため産めよ殖やせよ,という発想が一般的である. 人類はそういうエゴイズム(とあえて言おう)を乗り越えて,人口問題を真剣に問題にすべきなのだろう.そういう立場に立てば,日本などは少子化が問題になるほどだから,世界の人口問題に関しては,その軽減に貢献しているのだと,胸を張って言える立場ではなかろうか. 人口増加とはつまり中国人の増加ということだから,これは中国の問題だ,と言わんばかりの議論をする人もいる.しかし中国政府の「一人っ子政策」は目覚ましい成果をあげた.もちろん中国政府が人類の未来を憂いてという話ではない.食料生産が人口増加に追い付かないという事情もあっただろうし,中国政府の対外的なメンツもあっただろう.「一人っ子政策」は人権無視だという人もいる.実施の手法に問題がなかったとも思えない.しかし人口問題について初めて実効ある政策を実施したことは事実であり,この点で世界は中国に感謝せねばならない. 遺伝子の目標は自己増殖である.だから遺伝子は人間の欲望を操(あやつ)って,遺伝子が増殖するように仕向ける.仮にAさんが14人の子供を持てば,1人しか子供のいないBさんやCさんは,自分の遺伝子を子孫に多く残すという目標からすれば,相対的に不利な立場となる.けれどもBさんやCさんは,Aさんに「おめでとう」と言って祝福する.そういう偽善を善しとするのが人間社会である. 子供は,持ちたい人が必ず持てるものではない.また逆に,都合の悪いときにできてしまう子供もいる.一人っ子政策で,お前は2人目だから邪魔物だ,などと言われたら,それこそ子供の人権は踏みにじられる.子供は「生む」ものではなく「生まれてくる」ものなのだ.人智を越えた天からの「授かりもの」なのだ.だからこそ,生まれ来る「いのち」は等しく大切なのだ.そういうハッピーなコンセンサスが成り立つのであり,偽善などと揶揄してはならない. まさに正論.私もそう思っていた.生殖医療が今のように発達する以前には,である.今は違います.子供が欲しければカネを払えばよい.そういう時代になった.「子は天からの授かりもの」ではない時代なのだ.人間社会は,名指しで申し訳ないけれど,たとえばカソリック社会は,この事実を受け容れられるだろうか. 世に不妊の夫婦は多い.しかし,どうしても子供が欲しいという人は,人工受精を含めさまざまな医療行為を受けることができる.そうした医療行為の普及が,人間の自然な生殖能力の減退をひき起こしている可能性は十分ある(これが前回の話題). 医療行為に頼らねば子を持てない,という人の割合は今後さらに確実に増加するだろう.子供を何人もてるかは医療費の支払い能力によることになる. 生殖医療について一定の節度が必要な時代になった,と私は思う.