医師ドーバーの物語
海賊について,どうも盛り上がりに欠けた話をしてしまったので,罪ほろぼし?に今日は私の好きな話を書きます.断片的な情報をつなぎ合わせてストーリーに仕立ててみました.間違いがあるようでしたらご指摘ください. アヘン(阿片,opium)とトコン(吐根,ipecacuanha)を混ぜ合わせた粉末をドーフル(Dover's powder)という.アヘンは鎮痛剤として効果があるけれど,摂取しすぎると危険である.しかしトコンと一緒に飲めば,飲み過ぎたら嘔吐してしまうので,より安全である.この処方の発案者が本日の主人公. トマス・ドーバー(Thomas Dover, 1662-1742)はオクスフォードで医学を学んだ.また当時の英国で最も有名な医師トーマス・シデナム(Thomas Sydenham, 1624-1689)に弟子入りしたとも言われる.シデナムはアヘンやエール(ビール)を病気の治療によく使った.マラリアの治療にキニーネを推賞した人でもある.医学の勉強は順調に見えた.けれども,ある時ドーバーは大病を患い,それをきっかけにシデナムの元を去ることになる. そして彼は海賊になった. ドーバーは私掠船の船長として海に乗り出し,奴隷貿易に携わったり,南米のスペイン入植地やスペイン船を襲った.この,医者から海賊への転職は大成功だった. ドーバーは海賊業で大儲けした.しかし最も興味深い収穫物は1710年のものだったかもしれない.この年ドーバーたちは,ある孤島で1人の男を拾った.この男はスコットランド人で,乗っていた船の船長と口論して船を降り,その島で4年間を1人で暮らしていたのだった.ドーバーたちが英国に帰ったとき,1人のジャーナリストがこの男に興味をもった.孤島での生活を取材し,それを題材に小説を書いた.この小説は非常に好評だった. 後日,ドーバーは医業に復帰した.彼は1732年,患者集めの広告のため An Ancient Physician's Legacy to His Country(昔の医者が自国に残したもの)という本を出版した.アヘンとトコンを混合する処方はその本に書かれていて,現在なお医薬品のハンドブックに載っている. さて,孤島で男を拾ったとき,ドーバーたちの乗っていた船は Duke(公爵)号と Duchess(公爵夫人)号といって,どちらも英国ブリストルの市民(ドーバー自身も含む)が出資した船だった.航海の指揮をとったのはウッズ・ロジャース(Woodes Rogers).のちにカリブ海から海賊を一掃した立役者である.水先案内人はウィリアム・ダンピエ(William Dampier)で,じつは4年前に孤島に男を置き去りにした船の船長その人だった. ロジャースという名を聞いてピンときた人もいるかもしれない.孤島で拾われたサバイバル男の名はアレキサンダー・セルカーク,この男を取材したジャーナリストはロジャースの友人で,名をダニエル・デフォーといった.そして小説のタイトルは「ロビンソン・クルーソー」であった.