雑感,交通渋滞と学校システムと
師走である.町の中にクルマがあふれ,至るところで渋滞が起きている. それにしても,と思う.なぜ渋滞は解消されないのだろう? 渋滞を完全になくすことは困難かもしれないが,簡単な措置で緩和できそうな渋滞もある.片側1車線しかない道では,右折車が1台いることで,たちまち後続車が長蛇の列をつくる.車線をじょうずに区切って,後続車が右折車を迂回して直進できるようにするか,いっそ右折禁止にすれば,右折車が流れを妨げることはなくなるだろう. 別の例.青信号で進んだら,すぐ次の信号が赤になる.信号機のタイミングを同調させれば渋滞はずっと減る筈だ.そもそも,この小さな町に信号機の数が多すぎるし,信号の待ち時間が長過ぎる. 等々,簡単な工夫で渋滞を緩和することができるのに,当局は何の手も打とうとしていないように見える.車線や信号機や「右折禁止」などの措置を担当しているのは,どういう人たちなのだろう. 道路の速度制限を設定するのは,全国的な基準があると聞いたことがある.時速50キロで走行しても何の問題もなさそうな道路が,40キロ制限になっていたりするのは,そういう「基準」に従って制限速度を決めているからであるらしい.それとの類推で考えれば,車線の引き方も,信号機のタイミング等も,同じように全国基準に従っているのだろうか.だとすると,渋滞は起きるべくして起きていると言うしかない.クルマの流れは町ごとに違っている.個々の事例に応じてキメ細かく対応すべき所を,全国一律の基準に従っていたのでは,問題は解決する訳がない. 話はコロリと変わる. 古山明男「変えよう!日本の学校システム」(平凡社,2006)は日本の学校教育のシステムが抱える問題点を的確に指摘している.その中で古山氏は日本の学校システムを「中央集権無責任体制」と呼んでいる.教育関係と交通関係では組織機構の形も違うと思うけれど,1つの共通点があるのでないだろうか.それは個々の部署が,「上」の意向を気にして,自分で独自の政策を打ち出せないような仕組みになっているらしい,という点だ. 日本のお役人社会では近年,タテの関係が著しく目立つようになっているらしい.そういう中で個々の部署は,うかつに独自の措置をとりづらくなっているのでないだろうか.管理強化の中で各人がとり得る最良の策は,何事も自分で判断しないで「上」からの指示に従うことだろう.古山氏はそのあたりを,次のように表現している.(以下引用)官庁に雇用されている人たちは,後で責任を追及されることを怖がる.官僚機構の中では,指導に従って失敗しても責任は自分にない.指導に従わずに成功しても上は喜ばない.指導に従わずに失敗したときは,目もあてられない.だから従うのである.(引用おわり) それは教育関係の話である.交通関係では,そういう事はない,というのであれば,結構な話である.ただ,市街地での交通渋滞の現状を見るにつけ,「この渋滞を何とかしたい」という熱意をもって交通整理を担当している人たちが,はたして実在するのだろうか?と思わざるをえない.