STAP細胞
「STAP細胞」として有名になった論文に問題があった,と報道されている.著者らは論文を「取り下げる」のだという.事ここに至って,ちょいと「やり過ぎ」ではないかという印象を強く持った. ネイチャー論文の1つの問題点は,掲載されている写真が3年前の博士論文(小保方,2011)に使われている写真と酷似していること,朝日新聞(3月13日)によると,博士論文は「動物の体内から万能性のある幹細胞を見つけだす内容」であって,「STAP細胞に関する論文ではない」.ただし,この記事が問題にしているのは別件(下記)であって,写真には触れてない. 無理を承知であえて小保方博士の肩をもつならば,同じ写真を何度も使うことは,あまり勧められたことではないけれど,それほど悪いこととも思えない.異なる脈絡で再使用されたのなら,なおさら問題は少ない.あまり勧められない理由は,画像の「著作権」の問題が起こりうるからだ.今回の場合それは起こりえない.写真について問題にすべきは,写真の再使用の可否ではなく,ネイチャー論文中の写真の説明文に嘘が含まれているかどうか,という点だ.嘘が含まれているのなら弁明の余地はない. これとは別の写真,すなわち電気泳動の写真に明らかなコピペの痕跡があることも指摘されている.これはルール違反である.弁護すべきでないと思うけれど,ネイチャーは審査が非常に厳しい雑誌である.想像であるが小保方博士は,業績を上げたい周囲からの圧力で,少し背伸びをさせられたのではないだろうか. 上記の記事(朝日新聞)は,これらの写真について書かれたものではない.記事がやり玉にあげているのは写真ではなく本文のほうだ. 博士論文の,研究の背景を説明する部分が,米国NIHの文章(ネット上の文章)とほぼ同じなのに,引用元は書かれてない.と記事は述べている.これのどこが問題なのか私には理解できない.研究の背景なんて,誰が書いても同じような内容になる.文学作品ではなくて科学論文である.一言一句まったく同じで何がいけないのか. そもそも日本人が英語論文を書く場合,英語圏の著者の文章を模倣することは,いわば当然の作業である.日本人オリジナルの変な英語表現を使うよりは,むしろ模倣する方が良い.それは引用ではなく模倣であるから,引用元などは書かない.それに博士論文とは要するに学生が書いたものであって,世界に広く公表流布させることは意図されてない.審査をする側も,英文の一部がどこかからのコピペであるという理由で博士号を拒否したりなどは考えられない. 博士論文の「参考文献リスト」も,他の研究者の論文の一部とほぼ一致していた,と上記の記事は述べている.これも言いがかりに近い.テーマが似ていれば,同じような文献を引用するだろうし,文献リストの一部も当然一致する,その箇所をコピペして何の問題があるだろうか. 朝日新聞の記事については以上です.このほかネイチャーの論文では,実験方法の記述に,他の人の書いたものや小保方さん自身が過去に書いたもの,と酷似している箇所があるとか言われているらしい.実験方法なんて,何度書いても同じような文章になります.それに英語の堪能な人の著述から一部を借用するなどは,日本人の研究者は普通に実践しているのでないだろうか. STAP細胞の作製方法について理化学研究所が発表した内容が,ネイチャーに書かれている方法と違う,という「問題点」も指摘されているらしい.これも特に不思議と思わない.実験の手技は日々変化するし,その時々で本人が最良と思っているやり方も変わる.料理のレシピを書くような作業である.以前書いたものと微妙に違っていたとして何の問題があるだろうか. 科学論文を評価するものは,時の流れである.こういう大きなテーマであれば,世界中で追試実験が行われるだろう.半年もすれば,良かれ悪かれ評価はほぼ定まるのでないか.科学とはそういうものであり,論文の欠陥を言い立てるような雑事は,真の評価とは全く関係ない. 著者たちは論文を「取り下げる」のだという.これも不思議な行為だ.科学論文というものは一度発表されたら,もう「取り下げる」ことは不可能だ.間違いが見つかったからと言っていちいち取り下げられたら,科学そのものが成り立たなくなる.科学はそれ自身の論理に従って動き発展する.今回のようにマスコミの喧伝や政治的配慮によって左右されるようなことの方がむしろ,あってはならない事のように思う. この問題.まだ少し掘り下げる必要を感じる.それは大学法人化を含む小泉改革の「成果」である.これについては別の機会に書いてみたい.