癌細胞と多能細胞
きょうは雑談です.STAP細胞について. すでに分化した細胞を,細い管を通してから酸で処理する.生き残った細胞の一部は変化する.そして,分裂増殖して様々な細胞に分化する能力,つまり多能性 (pluripotency)を獲得する.これが小保方博士の言うSTAP(stimulus-triggered acquisition of pluripotency)という現象だ.そういう現象が本当にあるのかどうかが,いま問題になっている. STAP細胞の論文は1月29日の「ネイチャー」に載った.このニュースが,割烹着で実験をする小保方博士の映像とともに流れ,日本中が沸き立った.どちらかと言うと科学に縁遠い人の間で好評だったように思う.試練(ストレス)を生き延びて「万能」細胞に変身するという物語は,さながら人生訓のようでもあった. *********** ところで,「多能性の獲得」は,細胞の「癌(がん)化」と似ている.以下は私の想像であって,あまり根拠のない話であるが,少しお付き合い下さい. 胚発生,つまり受精卵が細胞分裂を繰り返して次第に動物個体が形づくられる過程において,細胞は組織器官ごとに各々違う特徴をもつようになる.これが細胞の「分化」で,分化に伴って細胞分裂の能力は抑制〜制御され,ないし失われる.細胞の分裂では染色体つまり遺伝子は,ふつうは子細胞に均等に分配されるので,分化した細胞も元の受精卵と同じ遺伝子1組を持っている(例外はある). で,「多能性の獲得」とは,分化した細胞を元の未分化な状態に戻すこと(脱分化)であり,それに伴って(たぶん)細胞分裂の能力も回復する.一方,細胞の「癌化」とは,分化していた細胞が分裂能力を獲得(回復)し,その細胞分裂を生物体が制御できなくなった状態である.癌細胞への変化(分裂能力の回復)は,その細胞の脱文化を伴う,と想像できる. 細胞が「癌化」する仕組みは2通りあるらしい.1つは,遺伝子が変化したときだ.たとえば癌ウイルスは,自身を宿主細胞の遺伝子に組み込むことで増殖したり,その細胞を癌化させる.放射線や活性酸素は遺伝子に作用して,その遺伝子を変化させることで細胞を癌化させる. もう1つは,遺伝子の変化を伴わない癌化である.遠い昔,日本の研究者がウサギの耳にコールタールを塗り続けて癌を作ったのは有名な話だ.もう過去の理論だと思っていたけれど,先日とある病院で大腸癌について解説しているポスターを見た.それによると大腸癌は,繊維質の少ない食物などで大腸壁の炎症が長引くことで発生するらしい. 細胞の性質が遺伝子によって決まっているとき,その性質は geneticな(遺伝的な)もの,という言い方をすることがある.一方,遺伝子でない要因によって決まる性質を「epigenetic」なものと呼ぶ.癌化の要因には geneticなものと,epigeneticなものがあると言える.いっぽう細胞の「分化」は通常は遺伝子の変化を伴わないので,基本的にはepigeneticな変化である. 「万能」細胞に話を戻すと,山中先生のiPS細胞は,細胞に遺伝子を導入して geneticな変化を起こし,それによって万能性(正確には,多能性)を獲得させたものだ.これに対しSTAP細胞は(もし実際に作れるのなら),epigeneticな変化だけで細胞が万能性を獲得(回復)したことになる.コールタールや慢性の炎症が細胞を癌化させられるのであれば,細胞を悪条件下に置くことで起る何らかの epigeneticな変化が,その細胞を脱分化させ,多能性を獲得させることも可能ではないだろうか.ただし,ヤマカンであるが,小保方博士の方法は,あまりに簡単すぎる気がする.逆に言えば,もし本当であれば,じつにエレガントな,極めて良い方法だと言える. とある病院の待合室で,そのようなことを考えた.蛇足. 山中教授のiPS細胞は induced pluripotent stem cell で,頭文字だけ並べると i. P. s. c. 最後の「cell」を日本語にすると「細胞」だから,そこだけ日本語にしてi.p.s.細胞,ないし「iPS細胞」と呼ばれる.小保方博士のほうは stimulus-triggered acquisition of pluripotency cell と言ったら英語として変な表現になってしまう.だからs.t.a.p.細胞という言い方は,厳密には正しくない.「s.t.a.p.」という現象,その現象を利用して作った幹細胞,というような言い方をすべきである. ひつこいけど,もう一度書いておこう. 「STAP細胞」という表現は,厳密には間違い.正しくは「STAP現象」と言うべきです.