真本家 70年史 1970年~1971年
1960年代の終わりころから関西では アングラフォーク関東では カレッジフォークがはやっていて両方の文化が混じりあう名古屋で5人組のフォークバンドが登場しました(路線的にはカレッジフォークに近いかな)2ch によりますと9 :昔の名無しで出ています:2005/08/07(日) 17:56:31ID:???チェリッシュ デビューのいきさつのようなもの。(参考書籍・「青春のバイブル」富澤一誠 著)1971年夏 チェリッシュは第一回全国フォーク音楽祭に出場したが、入賞出来ず。しかし、悦ちゃんのファッションセンスに注目したビクターの深井ディレクターがスカウト。送られたデモテープを聴いたが、少女趣味的な曲ばかりで冴えがなく諦めかけていた中に妙に心に残る曲「なのに〜」があったので、東京に呼びレコーディングを始めた。だが、リーダー 松崎好孝は、「あれはシャレで作った歌だから、自分たちの本流じゃない」と、「なのに〜」をシングル化するのを猛反対していたが 深井Dの必死の説得によりOKする。しかし、編集会議では没にされた。「ファルセットで売れた試しがないから」と。悦ちゃんのファルセットがいいと思っていた深井Dは、「出すだけ出してください」と頭を下げて頼み、初回プレス1500枚 宣伝費無しで1971年9月5日発売された。結果、「なのにあなたは京都へ行くの」は、予想を反し35万枚のヒットとなった。まさに深井ディレクターの執念が奇跡を生んだデビューだった。かなり昔に書いた記事ですがこの曲 は第1回全国フォーク音楽祭全国大会に出場した 名古屋の5人組チェリッシュのデビュー曲なのですが このグループはメンバーの2人がデキてしまい残った3人は 欲求不満フォークソングボーイズ を結成しました。この頃まで物価は安定しており ちょっとした食べ物なら 5円 とか 10円ラーメンが35円 市電はどこまで乗っても25円そんな時代ですから シングル500円 アルバム2000円 というレコードは大変高価なものでした。そこで当時開局したFM放送からのエアチェックが中心なのですがまだテープはオープンリールで1本1500円前後でかなり高く音質もあまり良くありませんでした。1971年には ONKYOの インテグラ713 1972年には サンスイのSP150 を購入再生装置もなんとか形ができてきました。この時期は洋楽がオリコンのチャートにも上がってくることが多かったのですが洋楽のアーティストであるベンチャーズが書いた日本の歌謡曲もよく売れましたただ投棄のTV番組は外国人の作曲した曲は対象外だったので曲がヒットしている割に出演できませんでした