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テーマ:子供の病気(2173)
カテゴリ:子供のこと
ちょうど1年前の今日。
ココが熱中症で入院しました。 当時は2歳3ヶ月でした。 1年前の今ごろは月に数回、JRの130円分の切符を買い、 色々な線を乗り継ぎ、ぐるっと大回りをして、最初に乗った駅の 隣の駅で降りる、という鉄道マニアの間では定番の 『130円大回りの旅』を家族で楽しんでいました。 最初のうちは子連れと言うこともあり、なるべく近場で せいぜい2時間くらいで回れるルートにしていたのですが、 回を重ねるごとに段々遠くまで行くようになっていました。 1年前の今日は、とうとう栃木県の小山駅まで。 駅に着いて次の電車に乗り換えようとしたとき、 それまで上機嫌だったココが急に無口に。 どうしたのかな?と思っていたら、突然の嘔吐。 小山駅までの電車は、エアコンが稼動していなくて 満員のうえ、晴天だったため窓から日差しもきつく、 車内はかなり高温になっていました。 そんな中、ココは私にべったり体をくっつけたまま 熟睡していたので、余計に暑かったんだと思います。 「熱中症かもしれない」と、慌てて風通しのよい所に 連れていき、ポカリスウェットを飲ませながら、 濡らしたタオルで頭や首をひたすら冷やしました。 駅を出て、病院に連れて行くことも考えたのですが、 しばらく休ませているうちに、落ち着いてきたらしく、 元気になってきたので、体を冷やし、十分注意しながら、 最短ルートで帰途につくことにしました。 地元の駅に着くまで1時間半。 どうにか何事もなく辿りつけました。 「大したことなかったみたいでよかったね」と ホッと胸を撫で下ろし、家に向かうバスに乗りました。 ところが、バスが走り出して数分後に、 いきなりココが白目をむき痙攣しはじめたんです。 たまたま次の停留所が、消防署のすぐ近くだったので、 すぐにバスを降りて、消防署にかけ込みました。 でも休日なのでなかなか病院が見つからない。 しばらくしてやっと隣の浦安市で受け入れてくれる 病院が見つかったときには、すでに20分以上経過して いたにも関わらずココの痙攣はまったく治まらない。 毎年熱中症で亡くなっている子供がいることを考えると 「死んでしまうかもしれない!」という思いがよぎり 私の心は恐怖でいっぱいになっていました。 「ちょっと痙攣が長すぎるな…」という救急隊員の言葉が、 恐怖心にさらに拍車をかけ、ガタガタと全身が震えました。 病院に着く少し前に、痙攣は治まったのですが、 病院での診察中にまた激しい痙攣が起きました。 「治療しますので外で待っていてください」 と言われ、廊下で待っている間、震えと涙が止まらず、 我が子をこんな目に合わせてしまった、親失格の自分を 呪いつづけました。 適切な治療のおかげで、症状はだいぶ落ち着いたものの、 まだ安心はできないとのことで、入院することになりました。 これまでは病気一つしたことのない丈夫な子だったので、 体中に色々な装置をつけられ、小さな手に点滴の針を刺され、 苦しげな小さな声をあげ続ける姿は、本当に痛々しかった。 明け方の4時頃、目を覚ましたココが、私の顔を見て 「かか…」と、か細い声を出しました。 愛しさと安堵と罪悪感がごちゃ混ぜになり、 涙が止まりませんでした。 その後回復が早かったため、3日で退院することができ、 幸い大事には至りませんでしたが、一歩間違えていたら、 命に関わる危険性もありました。 本当に親としての自覚が足りなかったと つくづく反省しました。 こんなことがあっても、ココの乗り物好きは変わらず、 電車やバスで遠出したがります。 だから、夏や気温が高すぎる日には絶対に行かない、 体を冷やせるものを必ず持参する、混雑した乗り物は避ける、 常に体調をチェックし、休憩を入れ無理のない行程にする、 ということを肝に銘じて、ほどほどに小さな旅を続けています。 熱中症は、本当に恐いです。 これからも、十分注意していかなければと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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