先日は久しぶりに法事の代打を頼まれました。
他の寺院から法事の代わりに行って欲しいという依頼です。
私は性格も良くなくて、一言多いので、余り代打を
頼まれることはありません(*^_^*)
この代打というのがなかなか大変(ーー;)
三人文殊寺の檀家であれば、私の責任ですから失敗しても
何とかできるのですが、他寺院の檀家さんなので、
ミスが無いように行わなければいけません。
一方で他寺院の檀家さんなので割り切ってできるので
気は楽です(*^_^*)
とはいえ、なかなか難しい(ーー;)
依頼された寺院の方がどんな法事をされているか
判らないので、一応その方に尋ねるのですが、
その人と同じにはならないだろう。
私が依頼するときにも、相手のできる方法でしてもらう。
ちなみに現在私の法事や葬儀を他の寺院に依頼しても
同じようにはできないと思います。
何しろ次第(拝む内容)が極端なスペシャルになっている(*^_^*)
それはさておき、代打時には気を付けることがあります。
本来の檀那寺住職より良い僧侶と思われないようにする。
そのまま素で行ったら、絶対に思われないという突っ込みは
無しです(*^_^*)
代打時に気合が入る人もたまにいるらしいですが、
そういうのもどうなんでしょう?
さすがに、だらしない格好で行ったり、手抜きするのは
ダメですが、頼まれたことだけして、余計なことはしない。
住職それぞれの個性で檀家を引きつけているだろうから、
少なくとも依頼した住職の檀徒が「こちらの住職の方がいい」
と思われる様な事をするべきではないと思いますね。
だから、自分の檀家の法事に比べるとパワーダウンした
状態で臨むことになります(当寺比)
傍から見たらそういうわけではないと思いますけど。
檀那寺住職に合わせないといけない。
例えて言えば、
ラリー仕様車を普通のファミリーカーに
乗り換えて行く
ような感じですかね?(*^_^*)
自分の寺院ではいろいろお話したりしますが
お経だけ上げて、できるだけ話さないで帰る。
愛想のない人ぐらいで良いかもしれない。
困るのは質問された時ですね(*^_^*)
「お経何のために上げるんですか」
「お寺によって違いますから檀那寺の住職さんに
お尋ねください」
お寺によって違う?そんなわけあるか
と思ってますけど
「お経なんか能書きですからね、大事なのは真言です」
などと独自の見解を述べたら檀那寺住職は困るだろう。
「線香は何本立てるんですか?」
「お寺によって違いますから檀那寺の住職さんに
お尋ねください」
お寺によって違う?そんなわけあるか
と思ってますけど
「線香なんか略式ですから何本でも良いんですよ」
と独自の見解を述べたら
後で檀那寺住職は
「真言宗は三本です。一本は仏様、一本は故人、
一本は自分の分です。」
などと能書きを言うかもしれん(*^_^*)
実際に他寺院に依頼したときに、その人が余計なことを
言うので困ったという話は聞いたことがあります。
また、私のお寺でも似たようなことがあります。
檀家さんがおかしなことをいうなと思って
「誰に聞きました?」
「先代の住職さんに・・・」
他の人から聞いた話なら「それはおかしいです」と
言えますが、先代住職となると、きっぱりと言いにくい。
「そういう時代もあったようですが・・・」
「先代住職の時代にはまだ広まってなかったんですよ」
といういい加減な言い方をせざるを得ない(ーー;)
私は前住職が倒れてから来たので、前住職のやり方は
ほとんど知らないし、聞いていないのですが、
建前上はお寺は、前の住職から継承していることに
なっているので、前の住職と全く違うということは
言いにくい(ーー;)
そう考えると、
独自の見解が多い三人文殊の次の住職は
困るかもしれない(*^_^*)
さて、法事の代打の話に戻りますが、
三人文殊寺でもまれにありますが
「○月○日に法事をしたいんですが・・・」
という依頼があった時に
「その日に予定があります」
と答えると
「他の方にお願いできませんか?」
などとというのは間違いと言わざるを得ない。
法事の代打も仕方ない状況もあるのでしょうが、
誰がやっても同じではないので、檀那寺住職に
やってもらったほうが、良いと私は思います。
さて、法事の代打は何か聞かれてもとりあえず帰る。
やはり、法話を逃げる住職の言葉を借りて
「次がありますから」
というのが正しいかもしれない(*^_^*)
法話を頼まれて逃げる住職
昨日は土砂加持法要の練習会に行ってきました。