元プロ野球選手で数々の球団で監督を勤めた、
野村克也さんが亡くなられました。
一つの時代が終わったような気がします。
選手出場試合数歴代2位(3017試合)
監督出場試合数歴代3位(3204試合)
通算本塁打数歴代2位(657本)
通算安打数歴代2位(2901本)
通算打点数歴代2位(1988打点)
通算打席数1位(11970打席)
通算打数1位(10472打数)
通算犠飛数歴代1位(113犠打)
ベストナイン19回受賞1位
という気の遠くなるような記録を持っています。
また、一方で適当に投げて打っていた野球にデータを
いち早く導入した人物としても有名です。
素晴らしい打撃成績を残していますが、捕手という
試合を大きく左右する負担の大きいポジションを務めながら
打撃三部門(打率、本塁打、打点)のタイトルを獲得するのは
実に大変。
過去5回のタイトルホルダーは生涯一度だけ。
ところが野村は17回のタイトルを獲得(◎_◎;)
実は捕手がそのタイトルを獲得したのは22回しかありませんが、
そのうち17回が野村ですから、ずば抜けているどころの選手では
ありません。今後も出ることは無いと思われます。
この不世出の選手を残念ながら私はあまり見ていません。
私の子供のころはまだ現役でしたが、既に全盛期を過ぎていました。
ただ、現役時代も監督時代も解説者時代も嫌味しか言わないような
性格的に難がありそうな人でしたが、私はこの人が好きでした。
面白いエピソードがあります。
野村克也が住んでいたマンションの隣には作家の司馬遼太郎が
住んでいました。
司馬遼太郎が作家の寺内大吉に
「隣の住人は労務者だ、夕方出かけて夜遅く帰ってくる」
と言ったところ
寺内大吉は
「まさか隣に労務者など住んでいるわけない」
とその住人を見たところ野村だった。
司馬遼太郎は野村克也を知らなかったのですが、野村も司馬を
知らなかった。
野村は驚いて、それ以降は対談があれば断らないようにした。
という話をエッセイで読んだことがありますね。
この人は南海ホークスでプレイングマネージャーを
務めていたのですが、解任された後、なんとロッテ、西武で
細々と選手を続けた。
最近のプレイングマネージャーの古田敦也・谷繁元信は
いずれも解任後はすっぱりと引退しています。
古田敦也・谷繁元信が引退後、他の球団で選手を続けるなど
考えられませんが、野村は長年勤めた南海のユニフォームを
脱いで他球団で1選手として試合に出たのです。
当時のプロ野球の試合数は年間130試合ですが
野村の出場試合数は3年間で190試合、
年間平均63試合というレギュラーでない状態でも
選手を続けました。
もう一つあります。阪神の監督を一身上の都合で辞任した後
社会人野球シダックスの監督に就任します。
まさか、プロ野球監督で実績のある人が、アマチュアの監督に
なるとはビックリ!
この人は
心から野球が好きなんだろう
と思います。
ただ、残念なのは、南海を解任されたのも、
阪神の監督を辞任したのも奥さんに原因があること。
野球の眼はずば抜けていましたが、
女性を見る眼は無かったのかも知れません。
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